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自然気胸

テーマ:自然気胸のこと
えべっさんへのコメントで、気胸の話をした折でしたが、ナインティナイン矢部浩之のおかげで(?)、またまた『自然気胸』という病気が脚光を浴びて(?)きました。

昨年、嵐の相葉雅紀も同じ病気になっていますが、彼は10年前にも発症しているようです。

私は8年ほど前に この自然気胸になりました。
コブログでも何度か記事にしていて、テーマにも『自然気胸のこと』として分類しています。

私の場合、まず町医者で診断してもらい、すぐに総合病院に行くように言われました。
病院では病名が判明した時点で重症患者として扱われ、発症から1週間、痛みや息苦しさはあったものの、普通に生活していたにも関わらず、トイレやレントゲンに行くにも車いすに座らされ、そしてそのまま即入院となりました。

この病気に対する最初の処置では、わきの下の少し下辺りに穴を開け、管を入れて 胸腔という肺が収納されている部屋の 肺から漏れた空気を外に出します。

この管を入れることで、肺は元の状態に戻り、人によっては退院できるようなのですが、再発率が高いそうです。

手術をしたほうが再発率は低いということでしたので、私は胸腔鏡という内視鏡を使った手術を受けました。
内視鏡を使うとは言っても全身麻酔下での手術、やっぱり不安でしたねぇ。

おかげでその後は再発していませんが、10回以上再発する人も珍しくないようです。
そうなると、開胸手術もするそうなのですが、それでも再発はするようです。

ところでこの自然気胸と言う病気、私のコメントに対するえべっさんのコメントにもありますように、背が高くてひょろっとした感じの男性が、よく罹るようです。

ですので、私が入院した時、医師や看護師に、
「気胸になる体型じゃないんですけどねぇ」
って、よく言われました。

相葉くんと同じ

テーマ:自然気胸のこと
更新を怠っていたので、ちょっと旬からズレた話題になってしまいますが、嵐の相葉くん、左肺自然気胸になってましたね。

「ふふふふ。私と仲間だ。」って、妙な親近感が湧きました。
私も左肺でしたし。

私が気胸になった時の話は、随分前にブログネタにしていましたが、細身で背が高い男性に多い病気だそうです。

2週間ほど入院しましたが、医師や看護師に「気胸になるようには見えないんですけどねぇ」って、何度言われたことか。

手術

テーマ:自然気胸のこと
さて、引っ張りに引っ張ってます 5年前の私が自然気胸になった話ですが、今回は手術をした前後の話です。

全身麻酔ということで、そりゃもう 緊張感いっぱいです。

手術自体は問題なかったとしても、麻酔が醒めずに・・・っていうドラマやドキュメントを見たことがあります。
「はたして 無事に目が覚めることができるのだろうか」
なんて考えて ビビリまくりでした。

前日までに、術後に入るハイケア室に持って行く物全てに名前を書いて、手術の時に履く紙製のトランクスを買ったりしました。

当日、6時頃に起こされました。朝食はありません。
そして、三十何年ぶりでしょうか、浣腸です。

いやぁ、「入れてから5分は我慢してください」 と言われても・・・
かなりつらかったです。

病室からナースセンターの裏側にあるハイケア室へ移りました。
ちなみに、入院後に処置した翌日までは、痛みのために車椅子でしたが、以降は胸の横から出た管の繋がった箱を持ちながら歩いていました。

術後24時間は(何があってもすぐ対処できるように?)ハイケア室で過ごすことになります。
そこで紙製のトランクスに履き替え、手術用の服に着替えます。

そしていよいよ手術室へ。

全身麻酔なので、当然 手術の様子は憶えていません。

手術前日、手術室の看護士さんからの説明で、
「起きた時に口に管が入っていて息苦しいように思うかもしれませんが、大丈夫なので パニックにならないでください」
と言われていたのですが、実際 目が覚めてみると 本当に息苦しくって、すっかりパニクってしまいました。

口から入った管を抜いてもらって落ち着くと、ハイケア室に戻っていることに気がつきました。

『ああ、目が覚めてよかった』と ひと安心、嫁もほっとした様子で帰って行きました。

その日はずっと点滴で、心拍なんかもモニターされています。

尿管カテーテルも入ってます。
いやぁ、カテーテルをつけられて小用をモヨオシタ時の感覚は何とも表現しがたいですね。

麻酔が切れ、動くと痛いので じっと寝たままでしたが、たまに背中にクッションを入れて、体の向きを変えてもらいました。
寝たきりのお年寄りが床ずれ防止にしてもらうのと同じです。
それでも後で気が付くと、背中に あせも ができていて痒かったです。

朝は丼鉢に入ったおかゆが出ました。
「なにもこんなにいっぱい・・・」
と思いながら、全部食べましたが。

しばらくして、看護士さんにカテーテルを抜かれたのですが、あの感覚も もう、なんとも表現できないです。

その日の午前中には、歩いて病室に戻ることができました。
その時はまだ、胸の横側から管が出ていて、プラスチックの箱も繋がったままです。
ベッドでは鼻に酸素のチューブも当てていましたが。

術中に管を喉に入れられていたためか、喉にも痛みが残り、数日は物を呑み込む度につらい思いをしました。

この段階で、あとは 退院に向けて時間が過ぎるのを待つだけとなりました。

(あと1話で終わるかな?)

入院生活

テーマ:自然気胸のこと
(5年前に私が自然気胸という病気で入院した時の回顧録の続きです。)

前回は、入院したその日に処置を受けて、病院で初めての夜を過ごしたところまで書きました。

体に穴を開けて管を入れた痛みと、なによりも次から次に出てくる痰のおかげで、ほとんど眠れないまま入院2日目になりました。

いや、ほんとに、「痰ってこんなに出てくるもんなんやなぁ」と驚くほどでした。

初日は救急の宿直医が処置をしたわけですが、この日には主治医も決まり、病状と今後の治療の説明がありました。

1回目の時に書きましたが、肺にブラ、あるいはブラグと呼ばれる小さな袋ができており、それが破れたために発症しました。

前夜の処置で1週間ぶりに肺が膨らんで元の状態になり、このままでも生活に支障はなく、この状態でいったん治療を終える人もいるようです。
ただ、このままでは再発の可能性がかなり高いのだそうです。

このため、胸腔鏡という、内視鏡の一種を使って、残ったブラグを切り取り、その部分をホッチキスのように留めたほうが、再発の確率はぐんと下がるということでした。

ただ、中には右の肺も左の肺も再発を繰り返す人もいるそうで、そうなると開胸手術したほうがいいのだそうです。
それでも再発する人はするのだそうですが・・・

ということで、胸腔鏡を使った手術をすることになりました。
ワキの下あたりに3カ所 穴を開けるだけなので、術後のダメージは相当小さいそうです。

とりあえず私の場合、肺がしぼんでいた期間が長かったということで、軽い肺水腫(肺に水が貯まる病気)になっており、これが治らないと手術できないということでした。
ただ、2、3日で治るだろうということで、1週間後ぐらいに手術ということになりました。

特別室も、一晩 しかもいい思い出もないまま追い出され(当然か)、普通の病室になりました。

その後、レントゲンは毎日撮って、点滴は1日2回受けたり、その他諸々の検査を受けたりしました。

酸素飽和度というのを指先に洗濯ばさみのようなものをして測るのですが、肺水腫を起こしていたためか低かったらしく、鼻に酸素のチューブをしなければなりませんでした。
これは特にしていなくても困らなかったのでよかったのですが、胸の横から出た管が繋がっている 青い液体の入った30センチ四方、厚さ6、7センチのプラスチックの箱は、どこへ行くにも持ち運ばなければなりませんでした。

検査の中で印象に残っているのは、手首の動脈からの採血です。
静脈からの採血は看護士でもしますが、動脈からは医師がやります。
手首に直角に近い角度で細めの針を刺すのですが、当然静脈より深いところまで刺しますから、痛みも若干 後を引きます。

次回は手術前後の様子です。

気胸の処置

テーマ:自然気胸のこと
さて、気を取り直して、5年前に私が自然気胸という病気で入院した時の回顧録の続きです。

前回は、紹介されて行った総合病院の救急外来で、即入院を言い渡されたところまで書きました。

その救急外来では、何の治療も行われず、車椅子に座らされて病棟に連れて行かれました。

ちょうどその夜、呼吸器科の一般の病室はほぼ満室(満床)だったので、特別室に入ることになりました。
リゾートホテル並みの広さの部屋に、ソファ大型テレビ、それにキッチンまで付いています。
料金も1泊(?)2万円ぐらいだったでしょうか。
私の場合はやむを得ず特別室になったということで、その50%で済みましたが・・・

荷物を置いて、嫁と「すげー部屋やなぁ」なんて話をしていると 間もなく病棟の処置室に連れて行かれました。

ベッドに横になると 胸の横側に局所麻酔を打たれ、医師1人と看護師数名がかりで何やらやっていますが、私からは見えず、どうなっているのかわかりませんでした。

処置が終わり、「体を起こして」と言われたので上体を起こすと、急に気分が悪くなりめまいがして脂汗が出てきました。

「気持ち悪いです」というと、血圧を測ったり 何やら肩に注射をされたりして、何とか回復しました。

これは、胸膜ショックと言って、若い人が初めて胸膜に穴を開けた時になるそうです。
医師に「まだまだ若い証拠や」なんて言われましたが、笑う気力もありませんでした。

ようやく落ち着いてから よく見ると、体の横の肋骨の間から管が出ています。
その管は白い四角いプラスチック製の箱のようなものに繋がっており、箱の中には青色の液体が入っていて、呼吸に合わせて動いたりしています。

そのまま やっぱり車椅子に乗らされ、病室に戻りました。

その後、浜崎あゆみ似の看護士から入院に関する説明があり、長い一日が終わりました。
まさに夜の12時ぐらいだったでしょうか。

嫁もこの時間まで付き合ってくれましたが、特に付き添ってもらわなくても大丈夫ということで家に帰しました。

それまでずっとしぼんでいた肺が膨らんだとうことで、相当溜まっていたのでしょう、汚い話で恐縮ですが、一晩中 痰が出て止まりません。
麻酔も切れて動くのも痛いので、洗面台までそう何回も行けず、ティッシュにくるんで捨てていました。
ティッシュは新しいものを一箱持ってきていましたが、一晩で半分以上使ったと思います。

おかげで入院初日は ほとんど眠れませんでした。
(まだまだ続く)
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松男

長浜生まれの長浜育ち
今は京都の嵐山方面に住んでいます
中学・高校・大学は軟式テニスしてました

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