知事選
テーマ:日記
2010/05/31 18:36
私は今や京都府民ですので外から眺めるだけなのですが、自由民主党滋賀県連の会長である上野賢一郎氏が、滋賀県知事選挙に出馬するようですね。
以前にも書いたかもしれませんが、彼とは高校の同窓で、同じクラスになったことはありませんでしたが、何かと話す機会はあったように記憶しています。
そういえば、3年の時に受験勉強の気分転換みたいにやっていた新聞部で一緒だったような・・・
気さくで嫌味がなく、誰からも好かれるタイプでした。
ここ数年、衆議院議員時代と、前回落選後とで4~5回会ってますが、いつも元気でバイタリティに溢れています。
また何年後かには、国政の場で活躍してほしいところです。
陰ながら応援してます。
そして共産党から出馬予定の丸岡英明氏。
直接教わってはいませんでしたが、私が長葉巻多虫だった頃、体育の先生でした。
当時は野球部の顧問もされていて、今では時代の流れで淘汰されていってるタイプの教師だと思いますが、豪快で、生徒を怒鳴って叱りつけたりもしてました。
でも、ねちっこくなくて面白い いい先生だったと思います。
当時はそんな先生も多かったんですけどねぇ。
現在の顔をネット上で拝見しましたが、やはり歳と共に柔和な表情になられたなと思いました。
当時は先生も30代でしたから、そりゃそうなりますわな。
さて、このお二人、現職相手にどのような選挙戦を繰り広げられるのでしょうか。
ま、最初に書いたように、私は京都府民なんですが。
以前にも書いたかもしれませんが、彼とは高校の同窓で、同じクラスになったことはありませんでしたが、何かと話す機会はあったように記憶しています。
そういえば、3年の時に受験勉強の気分転換みたいにやっていた新聞部で一緒だったような・・・
気さくで嫌味がなく、誰からも好かれるタイプでした。
ここ数年、衆議院議員時代と、前回落選後とで4~5回会ってますが、いつも元気でバイタリティに溢れています。
また何年後かには、国政の場で活躍してほしいところです。
陰ながら応援してます。
そして共産党から出馬予定の丸岡英明氏。
直接教わってはいませんでしたが、私が長葉巻多虫だった頃、体育の先生でした。
当時は野球部の顧問もされていて、今では時代の流れで淘汰されていってるタイプの教師だと思いますが、豪快で、生徒を怒鳴って叱りつけたりもしてました。
でも、ねちっこくなくて面白い いい先生だったと思います。
当時はそんな先生も多かったんですけどねぇ。
現在の顔をネット上で拝見しましたが、やはり歳と共に柔和な表情になられたなと思いました。
当時は先生も30代でしたから、そりゃそうなりますわな。
さて、このお二人、現職相手にどのような選挙戦を繰り広げられるのでしょうか。
ま、最初に書いたように、私は京都府民なんですが。
関西を知ってしまった・・・
テーマ:日記
2010/05/31 14:54
いや、全然意味はないです。
悪気もございません。
ただ、あまりにも新着のところに並んでたもので つい・・・
万歳をしてしまった
なんてのも並べようかと思ったんですけど、ま、そんなので新着欄を埋めても迷惑でしょうからやめときます。
追記(5/31 21:05)
ありゃ、対照となる記事が削除されてるから、この記事の意味が全くなくなってしまいましたわ。
でもせっかくだし残しとこ。
悪気もございません。
ただ、あまりにも新着のところに並んでたもので つい・・・
万歳をしてしまった
なんてのも並べようかと思ったんですけど、ま、そんなので新着欄を埋めても迷惑でしょうからやめときます。
追記(5/31 21:05)
ありゃ、対照となる記事が削除されてるから、この記事の意味が全くなくなってしまいましたわ。
でもせっかくだし残しとこ。
無色澄明
テーマ:日記
2010/05/27 18:47
医薬品の試験をするのが仕事なわけですが、試験というと堅苦しく聞こえますので、実験をしてると言ったほうがいいでしょうか。
実験にもいろいろとありますが、試験管やフラスコで液を混ぜると色が変わったりする なんてのが、想像できると思います。
マンガやコントなんかだと、それが爆発したりするんでしょうけど。
水のように、色が付いていなくて濁っていないことを無色澄明(むしょくちょうめい)と言います。
無色透明じゃないの? なんて言われそうですが、若干意味合いが異なりますので、実験の中では無色澄明の液 といったふうに使います。
さて、私が現在の勤務地になり、新品だったパソコンを使い始めてから1年近くになります。
1年は使っていたわけです。
が、つい先日むしょくちょうめいと入力して変換されたのが
無職長命・・・・・・・
この1年間は一体・・・・・・・
しかし無職で長命って・・・ お金に困ってなきゃそれでもいいけど、そんなに甘くはないしねぇ。
実験にもいろいろとありますが、試験管やフラスコで液を混ぜると色が変わったりする なんてのが、想像できると思います。
マンガやコントなんかだと、それが爆発したりするんでしょうけど。
水のように、色が付いていなくて濁っていないことを無色澄明(むしょくちょうめい)と言います。
無色透明じゃないの? なんて言われそうですが、若干意味合いが異なりますので、実験の中では無色澄明の液 といったふうに使います。
さて、私が現在の勤務地になり、新品だったパソコンを使い始めてから1年近くになります。
1年は使っていたわけです。
が、つい先日むしょくちょうめいと入力して変換されたのが
無職長命・・・・・・・
この1年間は一体・・・・・・・
しかし無職で長命って・・・ お金に困ってなきゃそれでもいいけど、そんなに甘くはないしねぇ。
阪急電鉄 中津駅
テーマ:雑感
2010/05/26 21:03
自宅が阪急電鉄の嵐山線の沿線ということで、阪急電鉄をよく利用します。
大学を卒業するまでは、1回ぐらいしか利用したことがなかったと思います。
しかも、どこからどこまで繋がっているのかも知りませんでした。
長浜からですと、大阪や神戸方面は当然JRを利用されるでしょうから、なかなか乗る機会はないと思います。
大阪の梅田を起点に十三(じゅうそう)を過ぎると、京都線、宝塚線、神戸線の3方向に分かれています。
つまり梅田と十三の間は、3路線が並走しているわけです。
で、京都線は十三と梅田の間に駅がないのですが、神戸線と宝塚線は中津という駅があります。
どの程度の利用客がいるのか知りませんが、ホームはこんな感じ。
かなり狭いです。
通過列車が多く、ちょっと怖いです。
あ、私、何度も申しておりますように、単なる電車好きですから。
ヲタクですとか鉄男と呼ばれる域には全然及びません。
息子は若干ハマりかけてるような感じはありますが・・・
大学を卒業するまでは、1回ぐらいしか利用したことがなかったと思います。
しかも、どこからどこまで繋がっているのかも知りませんでした。
長浜からですと、大阪や神戸方面は当然JRを利用されるでしょうから、なかなか乗る機会はないと思います。
大阪の梅田を起点に十三(じゅうそう)を過ぎると、京都線、宝塚線、神戸線の3方向に分かれています。
つまり梅田と十三の間は、3路線が並走しているわけです。
で、京都線は十三と梅田の間に駅がないのですが、神戸線と宝塚線は中津という駅があります。
どの程度の利用客がいるのか知りませんが、ホームはこんな感じ。
かなり狭いです。
通過列車が多く、ちょっと怖いです。
あ、私、何度も申しておりますように、単なる電車好きですから。
ヲタクですとか鉄男と呼ばれる域には全然及びません。
息子は若干ハマりかけてるような感じはありますが・・・
ラッシャー木村選手
テーマ:日記
2010/05/25 19:01
昨日からニュースになっていましたが、プロレスラーのラッシャー木村さん(以後敬称略)が亡くなられました。
私が中学生の頃はプロレス全盛期で、テレビもゴールデンタイムで放映していました。
10chでジャイアント馬場率いる全日本プロレス、6chでアントニオ猪木率いる新日本プロレスと、この2団体が人気を二分していた感じでした。
そんな中、たしか びわ湖放送だったと思いますが、ラッシャー木村、アニマル浜口、マイティ井上、阿修羅 原の国際プロレスも中継していました。
当時、まだ人気が出る前のダイナマイト・キッドなんかも参戦してましたねぇ。
ラッシャー木村の持ち技と言えば、ブルドッキング・ヘッドロックとクロスチョップぐらいしか憶えていませんので、ジャイアント馬場やアントニオ猪木と比べると、ちょっと華がなかったかもしれません。
私が大学生の頃は、ほとんどプロレス中継を見ることがなかったのでわかりませんが、国際プロレスが解散し、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田のいる全日本プロレスに移籍していました。
社会人になって,再びプロレス中継を見るようになりましたが、日曜日だったか月曜日だったの深夜1時以後の放送だったと思います。
ビデオに撮って見てました。
その頃 全日本プロレスの中では、激しいプロレスを見せる対戦と、楽しいプロレスを魅せる対戦がありました。
さすがに高齢だったジャイアント馬場も『楽しい~』ほうの対戦に出ていて、ラッシャー木村や百田光雄とのタッグで、ファミリー軍団って呼ばれてました。
そして大人気となった試合後のマイクパフォーマンスもこの頃に初めて見ました。
ジャイアント馬場をアニキと呼び、真剣な表情のまま 試合やプロレスと全く関係のないことを言って観客を笑わせていました。
ある意味、プロレスのショー的な要素を極めた人でした。
御冥福をお祈りします。
私が中学生の頃はプロレス全盛期で、テレビもゴールデンタイムで放映していました。
10chでジャイアント馬場率いる全日本プロレス、6chでアントニオ猪木率いる新日本プロレスと、この2団体が人気を二分していた感じでした。
そんな中、たしか びわ湖放送だったと思いますが、ラッシャー木村、アニマル浜口、マイティ井上、阿修羅 原の国際プロレスも中継していました。
当時、まだ人気が出る前のダイナマイト・キッドなんかも参戦してましたねぇ。
ラッシャー木村の持ち技と言えば、ブルドッキング・ヘッドロックとクロスチョップぐらいしか憶えていませんので、ジャイアント馬場やアントニオ猪木と比べると、ちょっと華がなかったかもしれません。
私が大学生の頃は、ほとんどプロレス中継を見ることがなかったのでわかりませんが、国際プロレスが解散し、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田のいる全日本プロレスに移籍していました。
社会人になって,再びプロレス中継を見るようになりましたが、日曜日だったか月曜日だったの深夜1時以後の放送だったと思います。
ビデオに撮って見てました。
その頃 全日本プロレスの中では、激しいプロレスを見せる対戦と、楽しいプロレスを魅せる対戦がありました。
さすがに高齢だったジャイアント馬場も『楽しい~』ほうの対戦に出ていて、ラッシャー木村や百田光雄とのタッグで、ファミリー軍団って呼ばれてました。
そして大人気となった試合後のマイクパフォーマンスもこの頃に初めて見ました。
ジャイアント馬場をアニキと呼び、真剣な表情のまま 試合やプロレスと全く関係のないことを言って観客を笑わせていました。
ある意味、プロレスのショー的な要素を極めた人でした。
御冥福をお祈りします。