金の輪
↑これは、小川未明作の「金の輪」が絵本になっているようです。
が、やはり、何度も言いますが、元々絵本として書かれていない作品を、絵本にされるとイメージが違うように思われて、大変残念におもうことがあります。
この金の輪も、朗読を聞いて想像する金の輪を回す男の子は、えにもかけないような天使のような男の子ですから、こうやって普通に絵に描かれて見せられると残念です。
ですが、これも、想像力を養っている途中の子供に読んで見せるときには良いですよね。
さて、「金の輪」
病気がちな太郎が、ある日、金の輪を回してくる少年に出会い、次の日も同じように金の輪を回してくる少年に出会い、次の日こそ、声をかけてお友達になろうとおもって・・
金の輪を回してくる少年から、金の輪を一つわけてもらって、一緒に回す夢を見て・・・
二三日後に、太郎は7つで死んでしまいました。
というお話です。
これまた「どゆことーーーー?」と思うようなあらすじなんですが・・・・。
これ、朗読で聞くと、絵にもかけないし、上手に文章にもできないくらい美少年極まりない少年が 、キラキラ、カラカラと、これまたどんな楽器も演奏できまいてというくらい心地良い音を立てながら、金色に輝く輪をまわしてやってくる。
それを、病弱なこれまた美しい少年が見ているという、えもいわれん美しい映像が浮かびます。
この話を書くまえに、小川未明は自分の子供を亡くしているとか。
その哀しくてやるせないような思いや、天使に連れられて逝ってしまったというようなイメージが込められているのかもしれません。。。。
ちなみに。
うちの息子が・・・・
「お友達になりたい子に出会ったら、すぐに声をかけてお友達にならなければならない。そうしないと、太郎のように死んでしまうぞ。という教訓だ。」
と、あほなことをいうておりました。。。。
それは、ちゃうと思います。
くもと草
あぁ。。。もっと事前にちゃんと注意しておけばよかった・・・。
あぁ。。。もっと発声を練習しておけばよかった・・・。
あぁ。。。もっと、マイクの使い方の練習をしておけばよかった・・・。
あぁ。。。もっと、広い部屋で練習をしておけばよかった・・・。
あぁ。。。もっと・・・もっと・・・・
と、今、猛烈な反省に襲われております。 ほんっとに、指導力の無さに打ちのめされております。。。。
次回は、もっとがんばります
さて。
小川未明作 「くもと草」ですが・・・・ 雲と草ではなくて、蜘蛛と草です。
小さいかわいらしい草花のところに、蜘蛛がやってきて、「ハエや蚊などが来て困るでしょう?私が退治してやりましょう~」と、うまいこといって、巣をはります。
そこへ、とてもキレイな蝶がやってきて、花とおともだちになり、花は蝶に蜘蛛の糸に気をつけるようにと 言います。
それを聞いた蜘蛛が怒って、茎や葉だけではなく、花も蜘蛛の糸でしばりつけてしまい、花は枯れてしまいました・・・。
というお話。
あらすじにもなってないような、ざっくりと書くとこんなおはなし。
どゆこと~~~~~? っておもいますよね?
悪い蜘蛛をやっつけるわけでもなく、 何か教訓があるのか?も解りません。
(甘い言葉には気をつけろってこと?)
でも、野原のちいさな草花を見ると、かわいい花に、蜘蛛の巣がうっすらとかかっていたり、また、蜘蛛の巣には、虫の羽や、小さな花びらがひっかっかっているのを見ることがあります。
怖いような、寂しいような、哀しいような、、、、、なんとなく、そんな感じがしますよね。
その感じを、とても美しい言葉で綴ってあるのが、「くもと草」だと思います。
「くもと草」、大好きなお話です。(大好きという言葉は違うかな?)とても、惹かれるお話です。
今回、朗読こといろのメンバーさんの朗読でしたが、自分でも読んで見たいとおもうお話でした。
電信柱と妙な男
と書きながら、結局「お母さまは太陽」しか、しかも、それもどうでもいいような話しか書いておりませんでしたので、電信柱と妙な男について。
絵本になっています。
大人は、絵本で読まないことをおすすめします。
だって、今回の朗読会での「電信柱と妙な男」の妙な男は、絵にもかけない妙な雰囲気を漂わせた妙な男でした。
見た目が妙なんじゃなくて、もうオーラが妙なんですよ。
これを観ることができるのは、朗読だからなのです。
「妙な男」と言っても、理解できない、想像できない子供は、こういった絵本で小川未明を読むことはとても良いことだと思いますけどね。
このお話。妙な男が電信柱と連れ立って散歩するというたのしそうなオモシロいお話です。
でも、ラストは、電信柱も夜の散歩が出来なくなってしまうし、妙な男も前以上に引きこもりになってしまいます。
やっぱり、どこか哀しくて空しい小川未明の独特の空気が漂う作品です。
次はにじいろ
昨日終わった朗読こといろさんの朗読会は、まだまだ私の指導力の無さを痛感しておりますが、朗読会で見えた反省点を、にじいろさんの朗読会に生かそうと思います。
もちろん、朗読こといろさんの次回公演も。
滋賀夕刊
土曜日の滋賀夕刊さんに、朗読会のことを掲載いただいたのですが・・・・
見出しが・・・・
「小林未明の童話披露 22日六荘公民館で「こといろ」の朗読会」
と、なってました・・・・。
小川未明 なんですけど・・・・・。
小川未明なんですけど・・・。
小川未明なんですけど・・・・。
だれ・・・・? 小林って・・・・。
本文は「童話作家・小川未明の作品から・・・ となっているので、まぁ、あれなんですけど。。。。
終演
約70名。ありがとうございました。
小川未明の妖しくて寂しさがそこはかとなく漂う世界をすこしでも感じていただけたでしょうか。
100回の練習よりも1回の本番といいますが・・・
(だから、練習しなくてもぶっつけ本番でいいという意味ではないですよ)
1回の本番で、どれだけ練習しても気づかない課題を得ることができます。
今回得た大きな課題の一つは、本を読むときの目線でした。
前日のリハーサルの時、「読んでいるときに客席に目をやるのがよいのか?」という疑問がサークルのみなさんから出てきました。
ときどき客席に目をやらなければならないと聞いたことがあるとのこと。
さて。どうなんでしょう?
本から目を離して客席をみなければならない。
「ならない」ということは無いですよね。
朗読中はずっと文字から目をはなしてはならない。
「ならない」ということは無いですよね。
正解は無い気がします。
自然に自然に聞こえるように、自然に自然に見えるように朗読することが大切なんだろうなと思うのですが・・・・
この前日のリハーサルの疑問のおかげで、不自然になってしまったのか、いただいたアンケートに
リスナーに目をやったほうがいい
本から目を離さないのがいいのか、本から目を離したほうがいいのか?
というご意見をいただきました。
そこが気になってしまうような朗読になってしまったのは、反省です。。。。
読み手が消えてないってことですからね。
次回は、聞き手が物語に入り込んで、読み手が消えてしまうような朗読をめざそうと思います。
さて。
打ち上げに行きまして・・・・ 朗読こといろのみなさんからお礼のクッキーをいただきました。
きゃわいい
いよいよ
いよいよ、あさってになりました。こといろの朗読会。
なにより、自分自身の練習量の少なさが、不安要素の一番なので、それはそれは困ったことです。
自宅で「お母さまは太陽」を読んでおりますと、息子がなんだかにやけて聞いております。
となりで、お母さまがお母さまは太陽を読んでいるのを聞く息子という、そりゃぁにやけるかもな・・・という状況です。
あぁ、何を着ようかな・・・・・
MYスリッパいるな・・・・
アクセサリーや、髪型はどうしようか?
いやいや、そんなことより、プログラムを印刷しなくてはっ!
といった感じで、いつものことですが、あたふたとしております。
2月22日は、六角館のホールで、小川未明の世界をお楽しみください・・・・・。
新聞に
お母さまは太陽
小川未明と言うと、やはり「赤い蝋燭と人魚」でしょうか。それとも「野ばら」を思い浮かべますか?
日曜日の朗読会のお話を少し紹介していきます。
「おかあさんは太陽」だという、それだけの作品ですが、とても懐かしく温かい気持ちになれるお話だと思います。
つづく。
長浜市HPイベントカレンダー
長浜市HP に、イベントカレンダーというページがあるのですが、そこに 朗読こといろさんの朗読会が掲載されてます。
長浜市のホームページを何気なく見て発見。
へぇ~~。こういうところに載せてもらえるんだね。ちょっと見直したよ長浜市。
ワタクシ事ではございますが、昨日、うちの息子が大学卒業するであろうにあたり、アパートを引き払うことになったので、掃除に行ってきました。
「大学から近くて安い物件」 で探したアパートですので、その通りに大学は目の前で、家賃も格安なのですが、お値段そのままに、ありえないくらいボロアパートで、環境もセキュリティーも極悪。
さらに息子が環境を悪くしておりまして・・・・たぶん、空気中にいろいろな菌が浮遊していると思われ・・・
そこを掃除したものですから、悪い菌を吸込みまくったようで・・・・
なんか喉の調子が良くありません・・・。
こといろさんの朗読会では、私も小川未明作品を読もうと思っています。
「おかあさまは太陽」という短いお話です。
また、内容については改めて書きますね~~。