浅井長政寄進の刀と太刀、小谷城脇門の扉、血痕付きの雑兵の帷子等本物を展示、3D 的な映像シアターで姉川合戦を再現、江誕生・落城・脱出場面をジオラマで表現するなど、日本宝くじ協会の資金提供を受け、全面的改装のなった「浅井歴史民俗資料館」へお越しください。
家臣垣見氏の屋敷図から
テーマ:淺井三代
2012/08/20 07:24
今回の展示替えで、文化四年(1807)に描かれた長浜市指定文化財「垣見助左衛門屋敷絵図」がお目見えいたしました。
「垣見助左衛門」は、浅井長政から小谷落城を目前にして、感状をもらった人物と同姓同名であり、おそらく、代々その名を継承して来たもので、垣見家は浅井家滅亡後、この時点で234年続いて来ていることになります。
のみならず、現在も土地を相続し生業を立てられており、実に今年まで439年にわたり、連綿として「垣見家」は続いてきているのです。
その屋敷図は、なかなか見ごたえのあるものです。
地図には、宮川邑とあり、現在の宮司町であり、地図の右上は「(宮川)陣屋」に接していることになっており、陣屋跡が現在の「日枝神社」境内に比定されることから、その場所を特定することができます。
宮司町の総持寺の信号の1つ東の信号を南へ入ったところに、日枝神社がありますが、その道路をはさんだ西側一帯と考えられます。現に垣見医院があり、広い土地を所有しておられます。
この地図の特筆すべきことは、母屋、長屋門、酒蔵などの建築物の詳細な間取り図、泉水などを中心としたかなり立派な庭園、畑地などの土地利用の様子などが詳細に描かれていることです。
右上、陣屋に接する所には、陣屋隠居屋敷貸地とあり、公儀へ土地を貸し付けていたことも読み取れます。
長屋門の前に、若干の広場が有ること、川の水を引き入れて利用する井戸があること、周囲には4間半幅の薮が巡らしてあったことなどが描かれています。
現在展示中の、黒漆塗紺糸威胴丸(ヨロイ)、頭形兜(カブト)、籠手(コテ)などをはじめとする膨大な宝物は、どこにしまってあったのか、土蔵などもなく、不明です。
当館職員T君が地図や現地を確認してくれましたが、知らなかったのは私たちだけだったのかもしれません。
絵図 長浜市指定文化財「垣見助左衛門屋敷絵図」
「垣見助左衛門」は、浅井長政から小谷落城を目前にして、感状をもらった人物と同姓同名であり、おそらく、代々その名を継承して来たもので、垣見家は浅井家滅亡後、この時点で234年続いて来ていることになります。
のみならず、現在も土地を相続し生業を立てられており、実に今年まで439年にわたり、連綿として「垣見家」は続いてきているのです。
その屋敷図は、なかなか見ごたえのあるものです。
地図には、宮川邑とあり、現在の宮司町であり、地図の右上は「(宮川)陣屋」に接していることになっており、陣屋跡が現在の「日枝神社」境内に比定されることから、その場所を特定することができます。
宮司町の総持寺の信号の1つ東の信号を南へ入ったところに、日枝神社がありますが、その道路をはさんだ西側一帯と考えられます。現に垣見医院があり、広い土地を所有しておられます。
この地図の特筆すべきことは、母屋、長屋門、酒蔵などの建築物の詳細な間取り図、泉水などを中心としたかなり立派な庭園、畑地などの土地利用の様子などが詳細に描かれていることです。
右上、陣屋に接する所には、陣屋隠居屋敷貸地とあり、公儀へ土地を貸し付けていたことも読み取れます。
長屋門の前に、若干の広場が有ること、川の水を引き入れて利用する井戸があること、周囲には4間半幅の薮が巡らしてあったことなどが描かれています。
現在展示中の、黒漆塗紺糸威胴丸(ヨロイ)、頭形兜(カブト)、籠手(コテ)などをはじめとする膨大な宝物は、どこにしまってあったのか、土蔵などもなく、不明です。
当館職員T君が地図や現地を確認してくれましたが、知らなかったのは私たちだけだったのかもしれません。
絵図 長浜市指定文化財「垣見助左衛門屋敷絵図」
コメント
-
2012/08/20 07:38宮司町の垣見産婦人科で私はお産しましたので
前の神社はよく行きました
事情があり何回も流産したり死産の繰り返し
神にも縋る思いでした
人って勝手なものです
困ったときの神頼み
でも私はお世話になった弘法大師様やお参りした神社にはお礼参りしました
でもこれも自己満足なんでしょうね
でも今も昔もお寺と神社は私は癒していただける場所なんです
京都にいた時は休みは賑やかな所にはいかず
色々なお寺を巡りました。
目の前にあれば手を合わせてしまいますよね
若いからとか歳を重ねたからとか、関係ないですよね
キレイごとのように聞こえるでしょうけど
生きてるのではなく生かされてることを、強く感じます
先生には、いろいろ教えていただいています
難しくてコメントできないんですが、ほんとに学ばせていただいています -
2012/08/20 19:21minoriさんへ
垣見さんでお子さんを・・・、不思議なご縁ですね。
前の神社、日枝神社なんですね。
それにしても、ご出産でご苦労になったこと、想像もできません。皆んな一人ひとり、様々な歴史を紡いできておられるんですね。見かけでは分かりませんね。
私も、信州別所温泉の前山寺でお祈りをして、もし無事だったらお礼に来ますと祈ったもんですから、もう1度参詣した記憶があります。
賑やかな所より、静かな寺社を巡られたとか、手を合わすとか、生かされていることの自覚など、深い内容のコメントをいただき、私の軽薄な記事には、恥ずかしいなあと思ったりしています。
それより、多忙なminoriさんが、こんな長文の、まるで、一回分の記事になりそうなコメントをいただき、恐縮しています。
長いのに、どこにも、変換ミスのない文に、ほんとにminoriさんが書いてくれたのかなと・・・失礼。
-
3DF2012/08/20 22:48垣見家屋敷図拝見しました。
帰って垣見家の歴史を調べた所、足利義満との関係があったんですね!室町時代から歴史があったなんてびっくりしました。
近江の垣見総本家・・・と書かれた垣見一族の方の「垣見家の歴史」参考になりました。 -
2012/08/21 17:26先生(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
変換ミス
しませんよ
最近は(*_*)
変換なんかしなくても
ひらがな気持ち優しくなりますよね -
SirMurai2012/08/23 07:563DFさんへ
さすがです。私も記事にする前に勉強しておいたら良かったんですが、なかなかの家柄なんですね。でも、昔は系図は自由自在になったそうで・・・、知らなかったくせに疑っては、失礼ですね。
それと、次回、この記事についてお詫びと訂正をしたいと思っています。
minoriさんへ
わーーー、変換ミスに反応いただいて!さすが、気にしておられる!
ひらがな、気持ち優しくなる・・・、全く同感ですね。自分に似合わない変換をしてしまい、そのままにするより、かなに直す配慮が大切なように思います。