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社長さん

テーマ:雑感
社内でおそらく1人だけしかいないと思うのですが、私の上司は 社長の話をする時『社長さん』と言います。

例えば、総務の人に社長が出社しているかを聞くのに『社長さんはもう来てやぁる?』と聞いています。

通常は、『社長』という言葉自体が,敬意をこめた呼び方なので その後に『さん』を付ける必要はない と、若かりし頃に 何かの話で聞いた覚えがあります。

上司は けっして社長に媚びているとかいうタイプではないのですが、どちらかというと,肩書きに弱いというか、変に委縮してしまうタイプなのかもしれません。

まあ、社内で話す時だけなら それほど気にしないのですが、他社の人と話している時でも言っているのを聞くと,
若干 恥ずかしいです。

『弊社の社長さんが~』なんて言われた日にゃ・・・

11-88

テーマ:雑感
私の車のナンバーは、自分で選んだ(買った)のではありませんが、4ケタの中で数字が2種類しかありません。

ということで、憶えやすいナンバーということになりますし、抽選になるような人気のある数字の並びでもありません。

納車の時に初めてナンバーを見て、
「えぇ!? なんじゃこら。。。」
と こぼしてしまいました。

それでも 当然のことながら 同じナンバーの車はあるわけで、見つけたりすると妙に嬉しかったりします。
同じ方向に走っていたら、信号で並んで いったん前に出てみたりして。
(あ、京都の主要道路は片側2車線以上ありますし、無理に追い抜いてるわけではありませんので。)

先日 ふと後ろを見ると同じナンバーの車じゃありませんか。
「おぉ!」と喜んでいましたが、あまりに車間距離をとらずに付いてくるので、ちょっとがっかりしました。

ところで、自分で選んで(買って)いるであろうナンバーで、『11-88』というナンバーをよく見かけます。
よもすると、一番見かけるナンバーかもしれません。

これって、なんで人気があるんでしょうか? 
京都だけ?
何かの語呂かなぁ。

レジ袋

テーマ:雑感
最近はどこのスーパーもレジ袋を減らすための工夫をしている。

レジ袋が有料だったり、ポイントがついたり、1~2円のキャッシュバックだったり。

私も,古いレジ袋をたたんでポケットに入れて持ち歩いているので、レジ袋をもらう機会はほとんどなくなった。

でも、何故か家にあるユニクロの袋だけは、どんどん増え続けているのだが・・・

大学受験の思い出

テーマ:雑感
前回、昭和59年の豪雪の中、大阪へ大学受験に行った話を書きました。

その時、一緒に受けに行った湖北町に住む男子とは、京都の某大学も一緒に受けに行っていました。
ちなみにこちらは日帰りです。

はっきりとは憶えていませんが、その時は「大雪が降って・・・」ってことはなかったと思います。
が、同じ頃であったことは間違いありませんから、おそらく市内にはかなりの積雪が残っていたことでしょう。

で、受験の日、その友人と電車に乗り、大学の最寄駅で降りました。
すると、周りは 同じ大学を受験するのであろう人でいっぱいです。

改札を出て、大学方面へ歩いて行くと、前後は 学校の遠足のような行列です。

さすがにこの年の雪は 京都にも多少は積もったようです。
除雪して電柱のところに集められたのでしょう、20センチほどの雪が電柱に寄り添うように 少しだけ融け残ってました。
表面はもう真っ黒です。

私と友人は歩きながら
 「こんだけしか残ってへんのやなぁ」
 「家の方は あんだけ残ってるのになぁ」
なんて 話をしながら歩いていました。

すると、我々の後ろを歩いていた受験生の会話が聞こえてきました。
少々興奮気味に
 「うわぁ! すごぉ~い! こんなに雪がいっぱいあるの 初めて見た!!」
と、えらく嬉しそうです。

私と友人は、
「えっ? いや、あの、 ちょっとしかあらへんやん!
 こんなんでそこまで興奮するんやったら、もう小一時間も電車に乗ってたら失神するほどの光景になるけどな。」
なんてコソコソ ツッコミながら、意味のない優越感に浸りつつ受験会場に向かいました。

えっ!? 試験の結果ですか?

・・・・・・2人とも落ちましたよ!

それぞれの1月17日

テーマ:雑感
それからずっと、テレビの前を離れられませんでした。
信じられない光景に、トリ肌を立てながら見入っていました。

ふと、会社に連絡を入れていないことに気がつき、家から電話をしましたが繋がりません。
「公衆電話のほうが・・・」と思って、近所の公衆電話から架けると繋がりました。

当時、私の部署は JRで通勤する滋賀県在住の人が多かったため、1人しか出社していませんでした。

部署内の被害状況は、液体の入ったビンが数本倒れて実験台から落ち、割れていたそうです。
他部署や工場などでは、何トンという重さの機械が 少しずれていたりしたそうです。

その後、家に帰って またテレビに釘付け。

6時半頃に家を出て、長浜駅から米原方面への列車に乗る予定だった妹はまだ帰っていません。

両親も私も「電車は動いてないはずやのになぁ」と心配していましたが、「駅で友達としゃべってた」と言って、昼頃に帰ってきました。

父と母は、配達に行ったり、店の番をしたりと、いつもと変わらない様子でしたが、私と妹は土、日、振替休日を過ごした後の思わぬ休日にとまどいつつ、テレビの映像を食い入るように見ていました。

翌日以降、JRは新快速が間引きされていて、京都までは各駅停車のみの運行でした。

同じ会社に勤める人の両親が神戸に住んでいて、お父さんが亡くなられました。
私のもっとも身近で 地震の被害で亡くなられた唯一の人となりました。

伊丹に住む大学の先輩は、大きな被害はなかったものの、ライフラインが断たれたため、しばらくは不自由な生活を強いられたそうです。

私の勤める会社と取引のあった会社が神戸市の長田区にあったのですが、社屋の1階部分が完全につぶれてしまい、結局その地での再建をあきらめ、三重県に移転しました。

その後、新快速も 大阪行き ではありましたが運行され、私にとっては以前と同じ生活に戻ることができました。

私自身は大きな被害も受けず、生活に支障も さほどありませんでしたが、やはりこの日は 特別な忘れられない日には違いありません。
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プロフィール

松男

長浜生まれの長浜育ち
今は京都の嵐山方面に住んでいます
中学・高校・大学は軟式テニスしてました

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