さらりぃーまんを目指す人たちに
テーマ:ブログ
2010/10/28 07:02
大学生の皆さん、就職活動大変ですよねぇ
今はたまに採用の面接に駆り出され、当時を振り返ることができ、懐かしい思いをしながら面接しています
「就活」って我々の時は略さず「就職活動」って呼んでました
我々の1983年大卒の就職状況はというと、さほど良くも悪くもないような状況で、まだいわゆる「就職協定」なるものが存在していた時代です
本来は大学4年生の10月1日に企業は採用活動解禁ということですが、そうはいっても6月ごろから双方接触を始め、内々定を出し、10月1日に内定式ってことで、学生の会社訪問を足止め(拘束)している会社が多かったと思います
私は京都のある大したことのない私立大学(OBの方もいらっしゃるんで伏せます)で、学生時代サークルにさえ入っていない、本当に何のとりえもない学生でした
しかも、就職活動を始めるまで、家業を継ぐものと自分もまわりも思っていたぐらいなんで、就職の意識ゼロ状態
なんで、就職しょうと思ったのかなぁ~
多分当時は地元に帰りたくないというより、家に・・・、家というより、父と一緒に仕事をするのが嫌やったんかもしれません
そんなわけで、父に就職したいと話すと、えっと思うほど一発でOK
まあ、この時、父は家業のこれからの将来のことは考えいいたのでしょう
ただし条件があって「それなりの会社」に入いれと言われました
それなりって・・・はぁ?
まあ、名の知れた企業ということか
ってことでその日から就職活動開始ぃ~
業種を問わず、名の知れた会社、大きな会社で入りやすい会社は無いかと必死で探しました
当時はうちの大学、あんまり実績なかったし、それなりの会社で入れそうなところはそうそうありません
でもこのままでは絶対に受からんなぁ
なんか、対策を考えなければ・・・
当時も今も就職は面接勝負重視で、筆記テストは企業によって異なりますが参考程度
(うちは今は筆記試験である程度ふるいにかけていますけど・・・)
数日間、部屋にこもり作戦をいろいろ考えた結果、2つの案が浮かびました
①スポーツマンに見せかける
②嫌みのない知的さを出す
スポーツマンは簡単、当時パーマのもじゃもじゃ頭をすぱっとスポーツ刈りにし、下宿アパートの屋上でめちゃくちゃ黒くなるオイルをぬって3日間焼き続けました
焼いてる間に暇なので、家にあった故事成語の本をを読みふけり、その意味を憶え、面接の質問に備えました
なんと3日間で少し知的なスポーツマンタイプの出来上がり!!
面接官 「黒いねぇ~何かスポーツやっていたの?」
私 「はい、山を歩いてました」(全く嘘ではない)
面接官 「じゃ~体力には自信があるんやね」
私 「はい、あります!!」(年寄りよりはある)
面接官 「営業は苦労するよ、体力だけではできんよ」
私 「若い時の苦労は買ってでもせよと言いますように苦労
できて給料ももらえるなんて素晴らしいことです」(苦労
はしたくないなぁ)
面接官 「ほぉ~、でもねうちの会社は全国にあるし、転勤多
いよ」
私 「人間至る青山ありといいますように、どこでも墓は
あり、人間ひとつのところにとどまっていては
仕事はできません」(まあ、転勤はしゃーないやろ)
面接官 「いろいろ昔の人の言葉をしってるんやね」
私 「昔の人の言葉はそれぞれに意味があり、我々若い世代
にも良く理解できておもしろいです」(知らんがな、つい
最近おぼえたんやし)
筆記試験はどこも同じような問題が多く、とにかくいろんな会社で慣れた結果、同じ問題が出ていることもわかりました
ただ、さすがに1次、2次、最終役員と進んでいくうちに、面接の内容も簡単に答えられるれるようなこともなく、四苦八苦し、化けの皮は完全にはがれていたと思いますが、いくつかの会社から内定をもらい、今のそれなりの会社にもぐりこみました
今、就活をしている学生さんに言いたいことは、面接では志望動機や自己PRにオリジナリティを出すこと、大学で勉強したことを嘘でもいいのできっちり話せること、とりあえず質問をして目立つこと
それには、普段からいろんな大人の人と敬語で話をする機会をもつこと(キャバクラのバイトとかじゃなくて・・笑)
私が全くえらそうに言える資格は無いのは、既におわかりのことと思いますが、自分のことを全て棚に上げて申しますと、就職活動は人生において自分を磨き、見つめ直し、成長する絶好の機会だと思います
めざせ、かっこいいさらりぃーまん!!
嘘も方便です
でも、もう二度と就職活動はしたくありませーん!!
今はたまに採用の面接に駆り出され、当時を振り返ることができ、懐かしい思いをしながら面接しています
「就活」って我々の時は略さず「就職活動」って呼んでました
我々の1983年大卒の就職状況はというと、さほど良くも悪くもないような状況で、まだいわゆる「就職協定」なるものが存在していた時代です
本来は大学4年生の10月1日に企業は採用活動解禁ということですが、そうはいっても6月ごろから双方接触を始め、内々定を出し、10月1日に内定式ってことで、学生の会社訪問を足止め(拘束)している会社が多かったと思います
私は京都のある大したことのない私立大学(OBの方もいらっしゃるんで伏せます)で、学生時代サークルにさえ入っていない、本当に何のとりえもない学生でした
しかも、就職活動を始めるまで、家業を継ぐものと自分もまわりも思っていたぐらいなんで、就職の意識ゼロ状態
なんで、就職しょうと思ったのかなぁ~
多分当時は地元に帰りたくないというより、家に・・・、家というより、父と一緒に仕事をするのが嫌やったんかもしれません
そんなわけで、父に就職したいと話すと、えっと思うほど一発でOK
まあ、この時、父は家業のこれからの将来のことは考えいいたのでしょう
ただし条件があって「それなりの会社」に入いれと言われました
それなりって・・・はぁ?
まあ、名の知れた企業ということか
ってことでその日から就職活動開始ぃ~
業種を問わず、名の知れた会社、大きな会社で入りやすい会社は無いかと必死で探しました
当時はうちの大学、あんまり実績なかったし、それなりの会社で入れそうなところはそうそうありません
でもこのままでは絶対に受からんなぁ
なんか、対策を考えなければ・・・
当時も今も就職は面接勝負重視で、筆記テストは企業によって異なりますが参考程度
(うちは今は筆記試験である程度ふるいにかけていますけど・・・)
数日間、部屋にこもり作戦をいろいろ考えた結果、2つの案が浮かびました
①スポーツマンに見せかける
②嫌みのない知的さを出す
スポーツマンは簡単、当時パーマのもじゃもじゃ頭をすぱっとスポーツ刈りにし、下宿アパートの屋上でめちゃくちゃ黒くなるオイルをぬって3日間焼き続けました
焼いてる間に暇なので、家にあった故事成語の本をを読みふけり、その意味を憶え、面接の質問に備えました
なんと3日間で少し知的なスポーツマンタイプの出来上がり!!
面接官 「黒いねぇ~何かスポーツやっていたの?」
私 「はい、山を歩いてました」(全く嘘ではない)
面接官 「じゃ~体力には自信があるんやね」
私 「はい、あります!!」(年寄りよりはある)
面接官 「営業は苦労するよ、体力だけではできんよ」
私 「若い時の苦労は買ってでもせよと言いますように苦労
できて給料ももらえるなんて素晴らしいことです」(苦労
はしたくないなぁ)
面接官 「ほぉ~、でもねうちの会社は全国にあるし、転勤多
いよ」
私 「人間至る青山ありといいますように、どこでも墓は
あり、人間ひとつのところにとどまっていては
仕事はできません」(まあ、転勤はしゃーないやろ)
面接官 「いろいろ昔の人の言葉をしってるんやね」
私 「昔の人の言葉はそれぞれに意味があり、我々若い世代
にも良く理解できておもしろいです」(知らんがな、つい
最近おぼえたんやし)
筆記試験はどこも同じような問題が多く、とにかくいろんな会社で慣れた結果、同じ問題が出ていることもわかりました
ただ、さすがに1次、2次、最終役員と進んでいくうちに、面接の内容も簡単に答えられるれるようなこともなく、四苦八苦し、化けの皮は完全にはがれていたと思いますが、いくつかの会社から内定をもらい、今のそれなりの会社にもぐりこみました
今、就活をしている学生さんに言いたいことは、面接では志望動機や自己PRにオリジナリティを出すこと、大学で勉強したことを嘘でもいいのできっちり話せること、とりあえず質問をして目立つこと
それには、普段からいろんな大人の人と敬語で話をする機会をもつこと(キャバクラのバイトとかじゃなくて・・笑)
私が全くえらそうに言える資格は無いのは、既におわかりのことと思いますが、自分のことを全て棚に上げて申しますと、就職活動は人生において自分を磨き、見つめ直し、成長する絶好の機会だと思います
めざせ、かっこいいさらりぃーまん!!
嘘も方便です
でも、もう二度と就職活動はしたくありませーん!!