大塚国際美術館
テーマ:ブログ
2009/08/16 13:42
ここは前にも行きましたが、とにかく広くって最後は時間が足りませんでした。
今回は1日じっくり見ましょう!と意気込みましたが…
朝寝坊で出遅れ、帰りは渋滞が心配で気が気でなく、やはりバタバタとなつてしまいました。
大塚国際美術館
大塚製薬のグループの所有物ですが、こんな立派な建物を建てたのはバブルの時の税金対策かなと思いきや、そうではなく、なんと平成10年に開業されているのです。さすが大塚グループ。さすがボンカレー
世界の美術遺産を展示されてていますが、全部レプリカです。しかも、でっかい陶板に彩色して焼いた物を展示されていますが、色は本物と変わらないそうです。
しかも、レプリカですから「触れないで下さい」とか「撮影禁止」はありません。ストロボを焚いたり、商用目的で作品のみを撮らなければ、撮影は可能です。
レプリカならではの良さですね
曳山も原寸大のレプリカがあれば、女性でも上がってもらえるのですが・・・
でも何億円仕事ですね
入館して長い長いエスカレーターで登っていくと
なんとそこが、地下3階? 地下3階、地上2階の5階構造です。
いきなり、システィーナホールという礼拝堂に圧倒されます。
ミケランジェロの天井画です。
以下、写真ですが、とても作品が多すぎて写真を撮るのをあきらめました。
入場料は一人3150円 4人で12600円也 観光以外ではとても入れない値段です。
初代館長は大塚グループ各社前取締役相談役 大塚正士氏で、この美術館を作るにあたり長い長い文を
書かれていますが、抜粋しますと。
我々が今回のような美術陶板の開発に着手したのは、今から27年前のこと、私が大塚グループ各社の社長をしておりました時に、グループ会社の一つの、大塚化学の技術部長であった私の末弟・大塚正富(現アース製薬株式会社社長)と、技術課長の板垣浩正(現大塚オーミ陶業株式会社取締役)の2名が私のところにやって来て、一握りの砂を机の上に盛り上げたことからはじまります。「社長、実はお願いがあるのです。」「その砂はどうしたのだ?」と尋ねますと「これは鳴門海峡の砂です。」と言います。うちの工場は紀伊水道に面していて白砂海岸がずっと海峡まで続いており、その白砂です。「実はこの砂でこれからタイルを作ろうと思っております。この砂はコンクリートの原料として採取し、機帆船で大阪や神戸へ陸揚げして、建築用としてトン幾らで販売しているのです。しかし、これをタイルにして1枚幾らで販売すると非常に価値のある商品になり、徳島県のためにも、また大塚のためにもなりますので、是非とも県知事に話してこの白砂を採取し、タイルを作る許可を貰ってほしいのです。」とのことでした。
そういう経緯の後、鳴門の工場内に炉を作りタイルの製造を始めたのですが、小さなタイルからはじめ、次第に大きなタイルが出来るようになり、ついには1メートル角のタイルを作っても歪みや割れが一つもなく、20枚作れば20枚とも100%合格の商品に出来上がるようになりました。そもそも陶磁器で大型製品を制作することさえ難しいのに、まして1メートル角の陶板を歪みなしに作るということは非常に困難なのです。その頃はアメリカでも20枚中19枚が不良品になって、1枚だけが合格するという状態でしたので、我々の技術は非常に優れていたと言えます。「いや、これは素晴らしい」ということでしたが、更に高度な製造技術力を得るため、滋賀県信楽町の近江化学陶器株式会社(当時社長・奥田孝氏、工場長・奥田實氏[現大塚オーミ陶業株式会社社長])と大塚が合併して新会社を設立いたしました。それが大塚オーミ陶業株式会社で、社長には私が就任しました。
中略
・・・・まずは尾形光琳の「燕小花」を作りました。なにしろ1メートル×3メートルという大きな陶板が無傷で焼けるものですから、これを数枚並べればよいのです。そのうち更に大型の美術陶板が制作出来るようになりましたが、より完成度の高い美術品を追求して新しく焼き、作り、且つ壊しながら日々研究努力を続けてまいりました。これから色の道に対する我々の苦労が始まったのです。
中略
・・・現在、我々の美術陶板は1,300度で特殊技術をもって焼くわけですから、1,000年、否、2,000年経ってもそのままの姿で残るに違いないのです。
中略
・・・ 順調に工事も進み、展示作品も1,000点を超える数字となり、現在このように陳列を終えまして、無事開館できる運びとなりました。本館では、東京大学の青柳正規副学長を長として、色々な大学生に美術を教える、ということを基本に考えて古今の西洋名画の中から選んだ作品を展示してあります。これをよく見ていただいて、実際には大学生の時に此処の絵を鑑賞していただいて、将来新婚旅行先の海外で実物の絵を見ていただければ我々は幸いと思っております。なにしろ、この絵は陶器ですから全然変化しません。本物の絵は次第に変化しますから、実物の色と、陶板名画の色とでは今から50年、100年経っていきますと、色や姿がおのずと違ってくると思います。しかし、どうしても真実の姿を永遠に伝えたい、後世への遺産として保存していきたい、ということで陶板名画美術館設立に至ったわけでございます。今回皆様にご覧いただき、間違ったところがありましたらご指摘いただいて訂正していき、とにかく1,000年、2,000年貢献していきたい、また徳島県のためにも美術館を通して貢献したいと思っております。
今回は1日じっくり見ましょう!と意気込みましたが…
朝寝坊で出遅れ、帰りは渋滞が心配で気が気でなく、やはりバタバタとなつてしまいました。
大塚国際美術館
大塚製薬のグループの所有物ですが、こんな立派な建物を建てたのはバブルの時の税金対策かなと思いきや、そうではなく、なんと平成10年に開業されているのです。さすが大塚グループ。さすがボンカレー
世界の美術遺産を展示されてていますが、全部レプリカです。しかも、でっかい陶板に彩色して焼いた物を展示されていますが、色は本物と変わらないそうです。
しかも、レプリカですから「触れないで下さい」とか「撮影禁止」はありません。ストロボを焚いたり、商用目的で作品のみを撮らなければ、撮影は可能です。
レプリカならではの良さですね
曳山も原寸大のレプリカがあれば、女性でも上がってもらえるのですが・・・
でも何億円仕事ですね
入館して長い長いエスカレーターで登っていくと
なんとそこが、地下3階? 地下3階、地上2階の5階構造です。
いきなり、システィーナホールという礼拝堂に圧倒されます。
ミケランジェロの天井画です。
以下、写真ですが、とても作品が多すぎて写真を撮るのをあきらめました。
入場料は一人3150円 4人で12600円也 観光以外ではとても入れない値段です。
初代館長は大塚グループ各社前取締役相談役 大塚正士氏で、この美術館を作るにあたり長い長い文を
書かれていますが、抜粋しますと。
我々が今回のような美術陶板の開発に着手したのは、今から27年前のこと、私が大塚グループ各社の社長をしておりました時に、グループ会社の一つの、大塚化学の技術部長であった私の末弟・大塚正富(現アース製薬株式会社社長)と、技術課長の板垣浩正(現大塚オーミ陶業株式会社取締役)の2名が私のところにやって来て、一握りの砂を机の上に盛り上げたことからはじまります。「社長、実はお願いがあるのです。」「その砂はどうしたのだ?」と尋ねますと「これは鳴門海峡の砂です。」と言います。うちの工場は紀伊水道に面していて白砂海岸がずっと海峡まで続いており、その白砂です。「実はこの砂でこれからタイルを作ろうと思っております。この砂はコンクリートの原料として採取し、機帆船で大阪や神戸へ陸揚げして、建築用としてトン幾らで販売しているのです。しかし、これをタイルにして1枚幾らで販売すると非常に価値のある商品になり、徳島県のためにも、また大塚のためにもなりますので、是非とも県知事に話してこの白砂を採取し、タイルを作る許可を貰ってほしいのです。」とのことでした。
そういう経緯の後、鳴門の工場内に炉を作りタイルの製造を始めたのですが、小さなタイルからはじめ、次第に大きなタイルが出来るようになり、ついには1メートル角のタイルを作っても歪みや割れが一つもなく、20枚作れば20枚とも100%合格の商品に出来上がるようになりました。そもそも陶磁器で大型製品を制作することさえ難しいのに、まして1メートル角の陶板を歪みなしに作るということは非常に困難なのです。その頃はアメリカでも20枚中19枚が不良品になって、1枚だけが合格するという状態でしたので、我々の技術は非常に優れていたと言えます。「いや、これは素晴らしい」ということでしたが、更に高度な製造技術力を得るため、滋賀県信楽町の近江化学陶器株式会社(当時社長・奥田孝氏、工場長・奥田實氏[現大塚オーミ陶業株式会社社長])と大塚が合併して新会社を設立いたしました。それが大塚オーミ陶業株式会社で、社長には私が就任しました。
中略
・・・・まずは尾形光琳の「燕小花」を作りました。なにしろ1メートル×3メートルという大きな陶板が無傷で焼けるものですから、これを数枚並べればよいのです。そのうち更に大型の美術陶板が制作出来るようになりましたが、より完成度の高い美術品を追求して新しく焼き、作り、且つ壊しながら日々研究努力を続けてまいりました。これから色の道に対する我々の苦労が始まったのです。
中略
・・・現在、我々の美術陶板は1,300度で特殊技術をもって焼くわけですから、1,000年、否、2,000年経ってもそのままの姿で残るに違いないのです。
中略
・・・ 順調に工事も進み、展示作品も1,000点を超える数字となり、現在このように陳列を終えまして、無事開館できる運びとなりました。本館では、東京大学の青柳正規副学長を長として、色々な大学生に美術を教える、ということを基本に考えて古今の西洋名画の中から選んだ作品を展示してあります。これをよく見ていただいて、実際には大学生の時に此処の絵を鑑賞していただいて、将来新婚旅行先の海外で実物の絵を見ていただければ我々は幸いと思っております。なにしろ、この絵は陶器ですから全然変化しません。本物の絵は次第に変化しますから、実物の色と、陶板名画の色とでは今から50年、100年経っていきますと、色や姿がおのずと違ってくると思います。しかし、どうしても真実の姿を永遠に伝えたい、後世への遺産として保存していきたい、ということで陶板名画美術館設立に至ったわけでございます。今回皆様にご覧いただき、間違ったところがありましたらご指摘いただいて訂正していき、とにかく1,000年、2,000年貢献していきたい、また徳島県のためにも美術館を通して貢献したいと思っております。