寺子約500人
テーマ:気がついたこと!
2009/12/09 20:40
長浜市史勉強会に参加して6ヶ月が過ぎようとしています。
まーぼ-さんが毎回話の内容をとりまとめてその次の会に配布してくれます。
現在読んでいる巻は、”長浜市史 3 町人の時代”ですが、この中には”開花する町人文化”(第三章)が含まれており、江戸末期、長浜には五つの寺子屋があり、約500人の寺子(生徒)がいたこと、南伊部町にあった寺子屋”鵞群堂”(がぐんどう)には最大150人の門弟が学んでいたこと、梨木墓地に門弟によって建てられた師匠の墓が存在することが書かれています。梨木墓地には金屋町にあった心酔亭の沢田五兵衛師匠の墓碑もある由です。
墓参りをした機会に、この墓にもお参りさせていただこうと探してみましたら道慶先生のお墓、ありました。
初代のお師匠さんは道慶勘右衛門先生、江戸末期道慶長俊・美祢ご夫妻の由。
私の知らない長浜の学問的土壌。学ぶこころを忘れないように致します。
下駄やのおじさん
まーぼ-さんが毎回話の内容をとりまとめてその次の会に配布してくれます。
現在読んでいる巻は、”長浜市史 3 町人の時代”ですが、この中には”開花する町人文化”(第三章)が含まれており、江戸末期、長浜には五つの寺子屋があり、約500人の寺子(生徒)がいたこと、南伊部町にあった寺子屋”鵞群堂”(がぐんどう)には最大150人の門弟が学んでいたこと、梨木墓地に門弟によって建てられた師匠の墓が存在することが書かれています。梨木墓地には金屋町にあった心酔亭の沢田五兵衛師匠の墓碑もある由です。
墓参りをした機会に、この墓にもお参りさせていただこうと探してみましたら道慶先生のお墓、ありました。
初代のお師匠さんは道慶勘右衛門先生、江戸末期道慶長俊・美祢ご夫妻の由。
私の知らない長浜の学問的土壌。学ぶこころを忘れないように致します。
下駄やのおじさん