和辻哲郎/出島二郎(七日塾)

テーマ:行事
高校生の頃読んだ、あるいは国語の試験問題にでた和辻哲郎のエッセイ、出島先生講演の資料として配布されなければ思い出すことはなかったかもしれません。本題はねむり博士さんのブログをお読み頂く事として、出島先生が注意を喚起された部分から、適宜引っ張り出しました。(エッセイの表題は、”埋もれた日本ーキリシタン渡来時代前後における日本の思想的状況ー”)

”我国をほろぼし我家をやぶる大将”の四類型として下記があげられております。
第一
ばかなる大将、鈍過ぎたる大将=うぬぼれのある人(才能すぐれ、意思強く、武芸も人にまっさっていても、我することはをば何れをもよき能きこととばかり思ふ人)
第二
利根すぎたる大将=勘定たかく、見栄坊であって、何をしても他から非難されまいということが先にたつ人

第三
臆病なる大将=義理にしたがって動くのではなく、外聞を本にして動く人

第四
強すぎたる大将=心たけく、機はしり、大略は弁舌も明らかに物をいい、智恵人に優れ、短気なることなく静かに奥深く見えるのであるが、何事についてもよわ見なることをきらう

上記から”理想の大将の類型とは、”賢明な、道義的性格のしっかりとした、仁慈に富んだ人物”であり、そこには
古来の正直、慈悲、智恵の理想が有力に働いているが、特に「人を見る明」の重要性が示唆されている。

”武士の理想を説く場合にも、正直・慈悲・智恵の理想が根底となっていることは明らかであるが、この書(武田信玄の老臣高坂弾正が書き綴ったといわれる甲陽軍鑑)全体にわたって、強烈な”自敬の念”が中心的な地位をしめている。”武道、男の道、武士の道などと言われるものは、自敬の立場において,卑しさそのものを忌み、貴さそのものを尚ぶ道徳であると、いい得られるようになる。

”尊敬しえないようなものは敵とするに値しない”

以下私(下駄やのおじさん)の感想です。

"大将"を人に読みかえれば、万人に適用されうる評価尺度と考えていいいと思います。
類型第四は、思い至らないけれどもなるほどと納得できる指摘。

出島先生は仰ったことば、で印象に残っているのは、

外的条件では組織はつぶれない、内的条件によってつぶれてしまう、
中世においては”人間は死と直面していた”がそうでない今の時代厳しさが欠如しているとの趣旨。
回答をさがすのは自分、春をつかまえるのは自分しかない。
寒くて暗くて怖い時代を生きられることに感謝すべき。



下駄やのおじさん

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