推敲
テーマ:ブログ
2009/10/26 22:12
自分のブログを読み返してみると
ひどい文章ばかり
思いついたまま書いて読み直ししていないもので日本語になっていませんね
この変な文章をたくさんの方がみておられると想うと
恥ずかしいですね
これからしっかり書きましょう
ひどい文章ばかり
思いついたまま書いて読み直ししていないもので日本語になっていませんね
この変な文章をたくさんの方がみておられると想うと
恥ずかしいですね
これからしっかり書きましょう
店門専鏡眼水清
テーマ:ブログ
2009/10/26 13:17
僕の店はおじいちゃんが開きました。
幼い頃に両親と死別し、丁稚奉公のすえ、苦労して開いた店。
最初は煙管やかんざしといった金属加工をやっていたそうです。
僕が子どものころには、道具が残っていて、何も知らずにめちゃめちゃにした覚えがあります。
今から思えばもったいない事をしたと悔やんでいます。
おじいちゃんは器用な人で、それは父にも受け継がれています。
ものごころついた時には、眼鏡屋になっていました。
父の眼鏡士登録証を見ると、昭和22年5月になっていまして
第80号という番号です。これは全国で80人目ですね。
因みに叔父が昭和39年で911号
僕が昭和55年で3831号
妻が平成16年で5681号です
昭和22年から39年までは年間平均48人増えていった勘定ですが
39年から55年まではなんと年間182名ずつ増えていったことになります。
ただ、昭和55年から平成16年の間はまた減少しまして77名になります。
さて、タイトルの清水眼鏡店は右から左に書いていますが
この看板から取りました。
僕にの父が子どもの頃からあったらしいので
かれこれ80年くらい前の看板です。
「店門専鏡眼水清」
これは
おそらく父が眼鏡士を取得した時に授与されたものと思います。
すすけていましたので、磨いたらピカピカになりました。
看板といいこの置物といい
趣がありますな・・・・
三代目として恥ずかしくない店主でありたいと思います
幼い頃に両親と死別し、丁稚奉公のすえ、苦労して開いた店。
最初は煙管やかんざしといった金属加工をやっていたそうです。
僕が子どものころには、道具が残っていて、何も知らずにめちゃめちゃにした覚えがあります。
今から思えばもったいない事をしたと悔やんでいます。
おじいちゃんは器用な人で、それは父にも受け継がれています。
ものごころついた時には、眼鏡屋になっていました。
父の眼鏡士登録証を見ると、昭和22年5月になっていまして
第80号という番号です。これは全国で80人目ですね。
因みに叔父が昭和39年で911号
僕が昭和55年で3831号
妻が平成16年で5681号です
昭和22年から39年までは年間平均48人増えていった勘定ですが
39年から55年まではなんと年間182名ずつ増えていったことになります。
ただ、昭和55年から平成16年の間はまた減少しまして77名になります。
さて、タイトルの清水眼鏡店は右から左に書いていますが
この看板から取りました。
僕にの父が子どもの頃からあったらしいので
かれこれ80年くらい前の看板です。
「店門専鏡眼水清」
これは
おそらく父が眼鏡士を取得した時に授与されたものと思います。
すすけていましたので、磨いたらピカピカになりました。
看板といいこの置物といい
趣がありますな・・・・
三代目として恥ずかしくない店主でありたいと思います