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孝と忠と日本文化

テーマ:仏願寺住職のお話
堯舜(ぎょうしゅん)とは、中国古代の伝説上の帝王のことである。
徳をもって天下を治めた理想的な帝王とされている。
堯には子供がいたが、優秀な舜に帝王の位を譲る。
しかし、舜の父親はいわゆる泥棒であった。
その事について儒学者孟子の弟子が、舜が帝王になった時、もし舜の父親が泥棒をすればどうなるかで議論をするが結論がでず、師匠である孟子に聞くと、舜は帝王の位を捨てて深い山か海岸まで逃げて二人で暮らすだろうと答える。
つまり、中国の儒教は忠より孝のほうが上である。

中国では中華人民共和国以前は、幇(ホウ・パン・バン)という同族・同郷団体があり、それぞれが姓を同じにして一つの国を形成していた。
周りを土塀で囲み、自分たちで身を守り、その中心が一族の長で、国構えに王・玉で、国の字のもとになった。
従って考え方の中心は孝であった。

それに較べて日本では、「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」の如く、忠と孝が同じ重みをもっている。
しかし戦国時代の下克上を通して、家臣による謀反を用心し、給金(米)と忠義、つまりアメとムチによる武家社会成立になった。
また一般庶民は、忠孝共に家社会を護るためには必要であったのであるが、士農工商などの身分制度の根本のもと、習俗として種々の束縛(忠義)があったのであろう。
結局のところ忠のほうを重視した。
赤穂浪士の討ち入りなどはその典型であり、忠を重視の幕府としては対処に苦悩した。

次に明治時代になると、「大御心(おおみこころ)」という絶対的忠の方が重みを持つことになる。
もちろん孝も大事であったが、忠の方がより重大であった。
父母がいくら病気でも赤紙がくると、召集されてしまう。
それが、昭和二十年八月十五日になり忠はほとんど消え去り、孝も薄れてきたのが現在である。
つまり日本文化を儒教から考えると、本来は孝重視の儒教が日本に伝わり忠孝並列の文化から、忠重視、そして共に重視されない文化へと変遷したことになる。

また別の文化論では、天皇(シャーマン)による神との言葉の力による国民支配文化から、鎌倉時代以降の力(武力)による文化、明治になってからの天皇による言葉と力による文化、そして戦後の資本主義(金)という力による文化、そして現在では情報という力へと変遷していった。

忠孝のなくなった現在社会は、力も情報という迷いを基本としている。
ほんとうに未来はどうなるのか不安すら感じないほどである。
結果、孤独死・年金問題・原発問題・地球温暖化等々、どうしようもない問題があまりにも多い。

もう一度忠孝を重視しようというのも難しいし、情報(迷い)整理は難解である。困ったものである。

WATCH plus 118号本日発行!

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2012.05


皆様ゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか?ニコニコ(男の子)

土日は天気も良く、バーベキューやキャンプなんかをされた方も多いのではないでしょうか?アッカンベー(男の子)

なかなか暖かくならないなぁと思っていたら急に暖かいを通り越して暑いくらいで、年々春が短くなっているような感じですねクローバー



さて、今日から5月ビックリマーク

いよいよ行楽シーズン到来ビックリマーク
ゴールデンウィークもあり、わくわくする月ですよねウインク(男の子)

でもゴールデンウィーク遊びすぎて五月病なんてのはダメですよパニック(男の子)


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本日、WATCH plus 118号発行です!


今月のトップレポートは…
~大自然に囲まれて、ゆっくりと流れる時間を過ごす~
スモーカーで薫製作り体験ですアップ

春の行楽にぴったりな「大見いこいの広場」に行って来ましたよアッカンベー(男の子)

ゴールデンウィークはたっぷり遊んで4月から溜まっていた疲れとストレスをリフレッシュして、また頑張りましょうアップアッカンベー(男の子)

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劫濁(こうじょく)とは

テーマ:仏願寺住職のお話
親鸞は大師号、見真大師という。
明治九年十一月二十八日に明治天皇より諡号(しごう)(贈り名)を追贈されたのである。
見真とは、「慧眼見真、能度彼岸」(慧眼真を見て、能よく彼岸に度(いた)る)からきている。
智慧の眼は真実を見て、結果、浄土を感得できるとの意味である。
親鸞の生涯を考慮して付けられた諡号であろう。

ところが親鸞は自分のことを愚禿(ぐとく)だという。
法然上人は愚痴の法然房、最澄は愚中極愚(ぐちゅうのごくぐ)、狂中極狂(おうちゅうのごくおう)、塵禿有情(じんとくのうじょう)、底下(ていげ)の最澄とまでいっている。
その他の師も、大半が自分のことは愚かといっている。
どの師も学問は極言に近いほどであるにも拘わらず、愚かと言っている。

それに引きかえて、現在の学者は偉いようである。
それは戦後の学問が影響しているのであろう。
すべて発展前進すればいいとの思想が根本にある学問である。

しかしながら、同じ学問をしながら正反対のことで争っているのを見ると、何か矛盾を感じる。
つまり真実が何なのか不明なのである。
そこに政治・経済が入り込むとよけい複雑である。
例えば、原発賛成と反対のように。

結果毎日のニュースを見ていると劫濁(五濁の一つで、世の汚れ)を感じずにはおれない。
孤独死・孤立死しかり、霊感商法、オレオレ詐欺等々しかりである。
また、避難所ではあまりなかった自殺が仮設住宅では増加するという人間心理に対応できない行政と心理学者もしかりである。
みんな研究を積み重ねてきているにも拘わらず、それに対応できない学者と行政には失望を感じる。

戦後、高度経済成長時代を通じて日本の家族構成が多世代同居型から核家族型に変化。
子どもの独立後、夫婦二人そしてその後一人という構成の世帯が増加し、退職後は地域や社会から孤立した暮らしになりがちである。

居住形態の変化核家族化の進行による小家族化や大都市地域における借家住まいやマンション居住が急増。
近所づきあいのわずらわしさから逃れ、匿名性は確保できるが、孤立した暮らしになることはわかっていたのではないか。
貨幣経済の中、日本人が選んだ社会とはいえ、そのマイナス部分を研究することはできなかったのであろうか。

日本古来の偉人は、学問をすればするほど愚を感じた。
現在は学問をすればするほど偉くなっている。
ここに、一般民衆を救済するのに大きな差があるのではないかと思える。

すべて便利なものは、必ずその裏に不便がある。
愚とは便不便ともに伝える学問ではないかと思う。
不便を隠した学問はもういい。
便不便共に伝える学問・政治が欲しい。
そして、その上で人間の幸福を考えて欲しいものである。

WATCH plus 117号本日発行!

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2012.04


3月の後半にも雪が降って、今年の冬は後半から寒くなりましたねパニック(男の子)

でもビックリマークそんな冬ももう終わりビックリマーク
彦根城の桜の開花予想4月6日だそうですアッカンベー(男の子)
やっと春といった感じですね音符


さて、今日から4月ビックリマーク
進学や就職と、新生活がスタートする時ひらめいた
とうても初々しい気持ちで新たな出会いにドキドキの4月ビックリマーク

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~重要無形民俗文化財指定―四〇〇年の歴史~
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今年は本日の15日が日曜日ということで、たくさんの観光客で賑わうでしょうアッカンベー(男の子)

3月が別れの月なら、4月は出会いの月アップ
新しい仲間をワイワイ迎える歓迎会なら是非WATCH plusをご活用下さいグッドウインク(男の子)

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「絆」と「関係」Ⅱ

テーマ:仏願寺住職のお話
先月、「絆」について少し述べたが、その後ある本を読んだところ、もう少し述べてみたくなった。

その本とは、大阪大学名誉教授・中国哲学史の加地伸行氏の本『儒教とは何か』である。
この本は中公新書で読みやすく、ついつい一気に読んでしまった。

儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性により五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教え、倫理・政治・社会思想のように考えられ宗教性はないと思われているが、そうではないと氏はいう。
儒教にも宗教性はあり、それは孝ということでとらえられ、その孝は、過去・現在・未来にわたり三世を貫いているという。

過去に関しては、自分の先祖の供養、自分の命の本源である先祖を大事にし供養すること。
現在は、現在の親に対しての孝行、そして目上の者を大事にすること。
未来に関しては、子孫を残すことが孝であると説く。
同時に、先祖供養は儒教であって仏教ではないと厳しいことをいわれています。
確かに仏教は先祖供養を方便として、その方便によって真実を説くものであるが、江戸時代の檀家制度によって方便の上にあぐらをかき、真実を説くことをないがしろにした傾向はある。
反省すべきであろう。

勿論、孝を説くのは儒教に限らず、世界中の宗教・習俗も説く。
そして死者儀礼・先祖供養を行う。
特に東南アジアは儒教の影響を受けてそれらの儀礼は丁寧であり、親孝行も重厚である。

ところで、孝を考えてみるに、まず先祖供養についてであるが、地方はまだしも都会では希薄になってきたようである。
聞くところによると、火葬場から寺に直行、永代経を納め、その後一切知らぬ存ぜぬが増えたそうである。
また葬儀も、病院から即火葬場に併設された式場に運ばれ、インターネットで僧侶を請い、そこで簡素な式後、即火葬という直葬という段取りもあるとか。

また孤独死の場合は、火葬後そのお骨を、預かって頂ける寺院に宅急便で送るのだそうである。
なんとも寂しいことである。

次に現在の孝であるが、現実の状況は成人すると親の元を離れ新しい生活を営む。
勿論、就職場所を考えると仕方がないであろうが、長男をも含む子供達全部が離れていては、親孝行は不可能である。
その上、片親だけになると裕福な者は養老院に親を入所さすが、そうではない者はそのままで、結果、孤独死もありうる状況である。
親孝行という言葉も死語になりつつ。

最後に未来についてであるが、子孫を残すこととはいうものの、少子化により長男長女の結婚もあり、その場合はどちらかの氏の子孫はなくなることになる。
長男長女以外の結婚とはいっても離婚が多く、なんとも寂しい。いわゆる「家」というものが崩壊しているのである。

全世界、宗教に限らず「孝」はある。
現在でも多くの国では生きている言葉である。
ただ日本の場合は、敗戦後、それまでの束縛的「絆」への嫌悪感から、自由主義という名のもと「孝」というものまでも捨ててしまったのかも知れない。
古くさいといわれるかも知れないが、「孝」というものを考えて欲しいものである。
「孝」を死語にしてはならない。
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