やわた夢生小路商店街が運営します『川崎や』は
多目的に使える「町家」です。
現在月に2~3回の割合でアコースティックライブをおこなっています。
ここでは『川崎や』でのイベント情報を中心にお知らせ致します。
お問い合わせは清水眼鏡店(62-4543)まで
よろしくお願いします
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宣告
テーマ:ブログ
2010/06/07 20:14
久しぶりに書き込みます。
父が緊急入院してからは無我夢中の日々でした。
店は妻と二人で頑張ってきました。妻も病院、家事、店と走り回っています。
父が経理を全て担当しててくれたので、さっぱりわからず苦戦しています。
また、病院では環境が変わると出てくる「夜間せん妄」が父にも現れ
夜、パニックになったとのこともあり、付き添いで病院に宿泊してます。
しかし、次の日僕は仕事ですから、フラフラになります。1日おきにしてもらいました。
午前中は彦根の姉が病院へ来てくれるようになったので大助かりです。
父は延命治療を拒んでいますので、併発していた肺炎が収まった今、治療はほぼ終わりです。
食事は何も食べたくないということで、わずかなフルーツを口にするだけです。
看護士の皆さんは優しくて、本当に良くして戴いています。
年寄りのことで、ズバズバ言うこともありますが、嫌な顔せず笑顔で対応されています。
ただただ感謝するのみです。
当分、他のことはする気になれません。
余命の宣告を受けましたが、父のことです、もっと頑張れるような気がします
父が緊急入院してからは無我夢中の日々でした。
店は妻と二人で頑張ってきました。妻も病院、家事、店と走り回っています。
父が経理を全て担当しててくれたので、さっぱりわからず苦戦しています。
また、病院では環境が変わると出てくる「夜間せん妄」が父にも現れ
夜、パニックになったとのこともあり、付き添いで病院に宿泊してます。
しかし、次の日僕は仕事ですから、フラフラになります。1日おきにしてもらいました。
午前中は彦根の姉が病院へ来てくれるようになったので大助かりです。
父は延命治療を拒んでいますので、併発していた肺炎が収まった今、治療はほぼ終わりです。
食事は何も食べたくないということで、わずかなフルーツを口にするだけです。
看護士の皆さんは優しくて、本当に良くして戴いています。
年寄りのことで、ズバズバ言うこともありますが、嫌な顔せず笑顔で対応されています。
ただただ感謝するのみです。
当分、他のことはする気になれません。
余命の宣告を受けましたが、父のことです、もっと頑張れるような気がします
コメント
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2010/06/07 21:18きっとよくなられることを祈ります
治療が終わり病状が安定され退院となられますと、さらにご家族のご苦労もあると思います
看護や介護はご家族の負担も多いと思います 関係機関に相談されお疲れにならないようにしてください
まーぼうさんや奥様もお疲れが出ませぬようにしてください
-
2010/06/07 21:46いろいろと大変でしょうが、無理なさらない様にしてくださいね。
普段通りの笑顔がお父様には一番のお薬だと思います。
よくなられますよう、お祈りしています
まーぼうさんもお体には気を付けてくださいね。 -
2010/06/07 23:14経験上からの、言葉です。
失礼覚悟で、申し訳ありません。
僕は、二年前に、父を亡くしました。
その前は、十六年間自宅で在宅介護してきました。
その間の介護疲れで、
自分の健康も損なってしまいましたが
今、自分が出来る範囲の事を、やってきたという、
思いだけで、何ら心残りはないです。
その時々に自分の出来る精一杯の事を
してきたことが、心残りを思わずに、
いられる所以とおもいます。
只、心配するのは、
介護共倒れにならないようにということだけです。
お優しいまーぼうさんだけに・・・。
単純な、励ましは、僕は言えません。
背負いこまれませんように・・・・ -
すや姫2010/06/08 08:00まーぼうさん
はじめまして。
ブログは時々拝読させていただいてました。
私も経験を元に少し書かせていただきます。
まず、余命は誰にもわからないということです。希望を持ってください。
6年前に母が脳出血で倒れました。母は、一人暮らしでしたのでご近所の人から連絡を受け、子供2人を連れて名神を飛ばし長浜へ。見つけていただいた時の状況から少なくとも12時間は一人でもがき苦しんでいたようです。そのせいか、脳の2か所に出血。今晩が峠と言われかなりショックは受けましたが、先のことはわからない、今できることをしようと思いました。
峠はなんとか越せましたが、約1カ月名古屋ー長浜を毎日名神で通いました。その後長浜日赤の先生の同行で名古屋の病院に転院、2つの病院を経てリハビリをするため施設にお世話になりました。
当時介護度4が今介護度2までになりました。その間私も夜中にうなされていたそうです。体重も減りました。母のわがままもいっぱいで疲れ果てました。その時にこんな言葉をプレゼントされました。「介護、看病は6割ですること。相手がもっともっとと要求してきて2割増ししたところであと2割の余裕を持っていれば楽だから」そう、今は相手のことばかり考えてしまうけど、自分も生身の人間、私が倒れてしまえば、子供や主人に迷惑どころか悲しませてしまう。この言葉は、私をすっくてくれた言葉です。
母を介護している時、主人の母がガンで入院していて看病している時に知ったことですが、聴覚、触覚、嗅覚は最後まで機能しているということです。
病室にお父様が好きそうな香りを漂わせてあげてください。病室ではお父様が聞いて心地よい会話だけにしてあげてください。お父様の手や足を軽くさすってあげてください。必ず想いは伝わります。
主人の母は手をさすって「大丈夫だよ。何も心配いらないよ」と声掛けすると静かに涙を流しました。それは涙ではなく、言葉だったと今も信じています。
一方的に書かせていただいた事をお許しください。
お一人で抱えないでくださいね。
-
2010/06/10 09:17コメントをいただきましたえべっさん、バヴァーヌさん、カピバラさん、すや姫さん、本当にありがとうございます。
書きにくい内容にもかかわりませず、あたたかい言葉をかけていただきとても嬉しく思います。
いろいろな体験を聞くに付け、僕なんかまだまだ楽させていただいていると思います。
今日、介護認定の審査です。
病院でお世話になるのか在宅になるのかまだわかりません。
ただ、今こそ親孝行しなきゃする時がありません。
ご教示頂きましたように、六分の力加減で頑張ります。
このあと病院へ行き、そのあとは「ほたる観賞会」の設営をしてきます。
ありがとうございました