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ハルマヘラ島からの帰還 ~生死の境をかいま見て~

テーマ:ブログ
先日からご案内しています「終戦記念展 ~銃後のくらしと女性たち~」のパネル文章です。

これは男性の手記です。
あまりにも悲惨すぎます。

ハルマヘラ島からの帰還 ― 生死の境をかいま見て ー

 戦後数十年、私達は二度と戦争をおこしてはならない。今平和に暮らしていける者の誓いである。今回の戦争で多くの尊い生命を失い例令生きて帰っても身体に大きな障害を受け苦しみながら短く人生を終わった人も、その多くは20歳前後から30歳代の若い人達であった。

 私も2度の召集で、最初は、昭和13年9月3日敦賀の歩兵に入隊。中国の揚子江沿いに南京漢口岳州まで戦闘を交えながら進み、部隊の交代で内地に無事帰ることができた。しかしこの部隊はあの激戦の上海上陸作戦で多くの戦死者を出しており、細江でも多くの方が戦死された。私はその激戦の後に補充兵として参加した者で戦闘のすさまじさは九死に一生を経験された方から聞かされ、肉弾戦のすさまじさを知らされた。

 2回目の召集は、昭和18年5月28歳のときで、結婚して4日目の朝に召集令状を受け取り、慌ただしく風呂敷包一つを持って鯖江の連隊に入った。「またか 男やったらしかたがない いずれはくるだろう」いう感じだった。面会が2回あり、両親が餅を持ってきてくれた。出発が決まって前々日くらいに両親が来てくれ、十分言えなかったけれど、これが最後かなと思った。

 鯖江の連隊に入り間もなく九州の門司港より5千トン位の貨物船に乗り、我々兵隊には行き先も知らされないまま出航した。1隻の船に約1,200人とトラック100台、馬100頭それに約2カ月分の食糧、さらに兵器弾薬が積まれ、まったくお蚕さんの棚の中にいるみたいにすし詰めの状態で約1カ月敵の潜水艦をさけながらジグザグにコースをとり赤道直下の小さな島、ハルマヘラ島に上陸することになった。海岸からすぐにジャングルで、敵の空襲を避けるため、奥地に野小屋式の宿舎を3日程で建てた。少人数ごとの分宿で、炊事は小隊ごとに作った。ニューギニアを反改基地に、また何時でも前線に行ける態勢にせよとの命令が下った。しかしその時すでに海軍の山本五十六司令官は戦死して、南方前線の制海権はアメリカに握られつつあった。

 任務は、海岸を少し入った所に塹壕を掘ることであった。赤道直下でスコップ、ツルハシでの作業、最初は人間がかくれる程度から段々深く通路もつくった。作業が限りなく続いた。また、後続の上陸してくる兵器糧秣を奥地へ運搬、部隊間の連絡路づくり、こんなことが半年近くも続いた。

 ある日、突然敵の空爆を受けることになる。3日か4日に1回来るのみが段々多くなり、高射砲弾地から応戦、撃退もした。しかし1日に何度となくやってくるようになった。小銃と機関銃しか持たない我々はただ防空壕を深く強固なものにするのみ、やがて敵は我が島前方30mの島に上陸。今度は爆撃機だけでなく戦闘機まで極めて低空で機銃掃射を間断なくやる。そうなると昼間の行動がとれなくなりせっかく陸揚げされた多くの糧秣もほとんど爆破されてしまった。食糧に困難をきたしてきた。仕方なく、現地のパパイヤやタピオカが主食となりった。しかも昼間は空襲のため煙が出せないので夜中に壕の中で火がもれないように分隊ごとの炊事をしてしのいだ。こうなると分隊こそが生死を一つにしたもので、一心同体であった。一つ間違えば爆弾の直撃を受け、人手で掘った壕なんかひとたまりもなく全員がやられてしまう。

 さらにジャングルはカが多くマラリヤにやられ、風土病のデング熱におかされ39度以上の高熱と下痢におかされ精神的にまいる者がではじめた。お互いに明日はどうなるかわからない。しかも暑さは赤道直下とてかつて経験したことのない真夏日の連続である。

 こうした日々が続いたある日急に爆撃が少なくなってきた。おかしいぞ、敵の上陸作戦かと益々不安な日が4日程続いた。忘れもしない昭和20年8月19日早朝戦争が終わった、全面降伏だと知らされた。何とも言いようのない複雑極まりない一日だった。それから3日程して兵器一切を豪州兵に渡すよう指示された。すべては負けたのだ。まずは内地に帰りたい、しかし日本には我々を迎えにくるような船はないだろう、三年先か五年先か仕方がないと自活をはじめた。2カ月もすると結構なもので海で魚をとる者、海水から塩をつくる者、ヤシの実から油をとる者などどうにか食物に事欠かなくなったきた。しかしこんなこといつまで続くのか眠れない夜もあった。

 それでも幸運がきた。昭和21年5月、アメリカの輸送船、リバティが迎えにきてくれた。田辺港に着き、DDTで消毒され体は真っ白、マラリヤの予防注射もした。

 6月1日家に戻ると、両親が待っていてくれた。兄も帰ってきていたが、弟は昭和19年ビルマで戦死したと母がぽつりと言った。「弟が死んだがね」何ともいいようがなかった。それから間もなく母は寝込んでしまい、翌年亡くなった。私も2か月微熱で寝込んだ。マラリア後遺症だったのか。

 異境の地で尊い命をなくし共に帰れなかった多くの戦友に心から鎮魂のまこを捧げたい。


コメント

  1. 逸見武史
    2010/08/15 23:57
    今日、終戦65年になりました 子供達と、戦争の話をしていて 親父の事を思い出しこのブログを見ました、私の親父もハルマヘラへ行き、帰って来ましたが、余り激戦だった様には 話していませんでした、今思うともっと聞いておくべきだったかなと思います 貴重なお話を読ませて頂き、有難うございました。
  2. 2010/08/16 16:48
    >逸見武史さま

     コメントを頂きありがとうございます。

     実は僕自身よくわからないのです。

     父が先日他界しましたが、戦争中は中支(中国中部)へ言っていまして、よく話しを聞きました。

     このパネルも、僕が印刷をしましたが

     原稿を頂いて初めて聞いた地名でした。

     今の間にいろんな事を残せばいいなと思います。

     ありがとうございました
  3. クジラのくしゃみ
    2012/11/01 23:52
    主人から『父が、ハルマヘラ島から帰還した』と聞いていました。

    地図上からは地名が判らず、詳しい詳細も知りませんでしたが、読ませて頂き、改めて再認識いたしました。

    ありがとーございました。
  4. 櫻井 達朗
    2013/01/20 19:22
    こんにちは。父が同島で飛行機の整備兵として任務しておりました。幸いにも帰還し、20前に無くなりました。
    生前は、よく色々戦争のこと聞きました。ご存知であればお教え下さい。父 櫻井長一郎 宮城の出身です。

    2013/01/21 09:21
    櫻井様 コメントありがとうございます。実は、お手伝いしているだけで、僕自身よくわからないのです。この、パネルの筆者に尋ねてみます。

  5. 息子
    2013/01/30 12:01
    20年前に他界した父もハルマヘラで終戦を迎えました。赤紙召集で山梨県の甲府第49連隊に入営し最初は満州に行き、関東軍の南下転戦でハルマヘラへ。途中船団のほとんどが潜水艦の魚雷に沈められましたが、運良く上陸できたそうです。同じ連隊のほとんどが近くのモロタイ島行ったそうですが米軍の上陸で玉砕したことを大いに親んでおりました。父は池川定夫といいます。
  6. くまです^^
    2013/08/15 16:13
    終戦記念日、特攻隊の番組を見ていて、父親を思い出しました、ハルマヘラ島を調べているうちにこのブログにたどり着きました
    満州から内地に帰れると思っていたら、ハルマヘラ島についたそうです
    衛生兵として働いていたそうです
    幸運にも生きて帰りました
    10年前に亡くなりましたが、詳しく当時のことを聞いておけばよかったです
    父は、大野幸隆です
    2013/08/21 10:04
    コメントありがとうございます。
    僕はこの「ハルマヘラという島の名前すら知りませんでした。
    この文章の反響にびっくりしています。

    お国のためとはいえ大変な苦労をされたのですね。

    今の平和はお父様の時代の方々のおかげと感謝しています。

  7. 猿です
    2013/08/22 18:48
    小生の父親もハルマヘラ島で衛生兵をしていたと話ておりました。治療の術も無く、ただ末期を見守るだけだったそうです。当時の事は話してくれません。余程辛い体験だったと思います。父は神奈川県、窪倉勇です。3年前に他界しました。戦争は悲惨だけです。
  8. 寒河江 英明
    2013/09/28 12:11
    初めまして。私の父親もハルマヘラにおりました。確か中隊長をやっていて、隣の部隊の中隊長は後に俳優になった池部良氏だったと言ってました。

    父は「ハルマヘラからの生還」という本を出版しております。父の名は寒河江善秋と言います。35年前に56歳で他界しました。
    2013/09/29 15:04
    コメントありがとうございます。
    実は、まったくこのことについては存じません。
    引用させて頂いただけなのです。

    申し訳ございませんが、長浜市の浅井民俗資料館
    0749-74-0101へお問い合わせください。

    よろしくお願いします。

  9. 長崎 節夫
    2013/11/24 05:17
    北スラウェシ日本人会会報編集係の長崎節夫です。先の大戦中、ハルマヘラ島に勤務された小名木次郎さんの消息をたずねています。小名木さんは楓部隊第一大隊第四中隊の所属で、部隊のほとんどはモロタイ島で戦死されたそうです。終戦で帰国したあとハルマヘラ島勤務中の思い出を絵日記風に描かれて、そのコピーが縁あって当方に届いていますが、かんじんの小名木さんの所在がわかりません。
    2013/11/24 13:54
    コメントありがとうございます。
    僕は、ご紹介しただけで全くといっていいほど
    ぞんじません。
    おそらく、資料館でもお問い合わせの件はわからないと思いますが
    聞いてみます。

  10. 筧 光世
    2014/05/17 12:44
    祖父がハルマヘラ島へ行ったと父から聞かされております。
    帰国してからは、お酒ばかり飲んで酔っ払っていたそうです。
    祖母も父もそんな祖父を疎ましく思っていたようです。
    お酒の飲み過ぎが災いし、40代で亡くなったようです。
    父の優しい性格からして、きっとその父親である祖父もお酒を飲まずにはいられない、辛い体験をしたのだと、孫の私は思っています。

    2014/05/18 10:47
    コメントありがとうございます。

    僕は文を紹介しただけで、知識はありませんが

    想像を絶する体験だったのでしょうね。

    人も人生も変えてしまう恐ろしい体験だったのでしょう。

  11. ひらやま
    2014/06/14 12:53
    ハルマヘラ島でググったらこちらにたどり着きました。祖父はハルマヘラ島で終戦を迎えたようです。戦争については多くを語らず、数年に一度マラリアの後遺症で震えていました。亡くなって18年ほど経ちますが、この記事のお蔭で向こうでどのような経験をしたのかを垣間見ることが出来た気がします。有難うございました。
    2014/06/14 15:07
    コメントありがとうございます。
    ただ私は、ほとんどこのことについて知りません。
    ご紹介させていただいたにすぎません。

    もっと、お答えできるといいのですがすみません。

  12. 国巣
    2014/06/24 21:45
    父方の祖母の姉の夫がハルマヘラ島で戦病死しました。
    福島県出身の木津という者で、おそらくマラリアだと思います。
    祖父の墓とはお隣同士で、よくお線香をあげていました。
    少々遠縁ですが、きっとここに書かれた戦友の方々にはお世話になった事だと思います。縁者として御礼を申し上げます。
    2014/06/25 15:15
    コメントを頂きありがとうございます。
    こんなにいろんな方から
    コメントを頂くとは思ってもいませんでした。
    あらためて、戦争の悲惨さを感じずには
    いられません。

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