朝は、ぼんぼん
この時期、朝起きるのも大変~寒くて!
5時半に起き、お弁当を作りながら主人の朝ごはん・・・
そして、6時10分頃には主人の車にエンジンをかけ・・・
私がですよ!・・・
冬の期間限定・・・
お薬の水を用意して・・・義母が・・・
忘れるといけないので義母は必ず確認・・・
主人を送り出すまで二人してバタバタ・・・
家の主人朝だけ、ボンボンでございます!
因みに、お隣からはたま~に「若!」と呼ばれております。
主人のいない所ではね~
冬ほたる
昨日の夜、寒かったんですが家族3人で丹波町の琴滝へ・・・
琴滝冬ほたる2012・・・一昨年前にも行き好評だったんで今年も行く事に・・・
土日だと縦貫道の出口付近が大渋滞するので平日に・・・
やはり見に来られる方もちらほら・・・雪も降ったりやんだり・・・
LED電球の青と白の寒々とした灯りがきれいです。
この場所は縦貫道降りてすぐの信号を右にUターンして山の奥にあるんです。
なだらかな遊歩道(250m位)・・・画像では見えませんがかなり凍っています。
まだまだ歩きます・・・・寒いです。
谷から流れて来る水の上にも青い光がきれいです。
ここが最後の見所です。滝の所にも・・・
結構高いのでうまく撮れません!・・・横向きですが!
この冬ほたるは、「NPO法人丹波みらい研究会」が主催しておられます。
丁稚どん前掛け
今日の油甚さんの記事を読ませて頂いてますと・・・
右手首ねんざと・・・(黄金の右手が・・・お尻ふきの!)
あきませんがな!大事にしなぁ~と思い読んでおりましたら・・
タイヤの交換で腰をいわせないようにとの事・・・
またまた、あきませんがなぁ~と、ぼやきながら・・・
ピッピッ!!!
そういえば息子が保育園から習っております空手で、
準備運動の時にする股割り・・・これは下半身の強化にはいい!
相撲、柔道、空手に限らずスポーツされている方なら
準備運動の基本の一つともいえます。
そして重いものを持つ時には、両足を少し開き足、膝、腰の
三か所に力を入れて持つ事ですか!
そうしないと、腰、肩、腕、手首、など痛めるんでね!
いつも行く骨盤調整の先生の話では鎖骨の歪みなんかは
ちよっとした風邪でも咳が出やすくなるとか・・・
油甚さんお大事に・・・
それから今日は「丁稚どん前掛け」という事でして
昔はよく、米屋、酒屋さんがよくしておられた前掛け。
綿100%で織る前掛け、紐は平織りでしっかり丈夫に出来ていて
腰をしっかり締めるためのもの、重たいものを持つ仕事の方が
使っていたという事ですが江戸時代から続いてる
伝統の一つでもあるそうです。
腰辺りで巻くこの前掛けは腰痛予防としても言い伝えられていたそうです。
腰前掛けを締めると腹圧をかける事になるので腰痛予防に役立つというもの。
腸骨を締める事によって腰が締まり腹圧がかかる、筋肉が起きて
「腰の関節が安定」するという事です。
お腹ポッチャリの方も締められますもんね!腰だと・・・
あらら・・・最近では接骨院の先生が御使用!
でもこの「丁稚どん前掛け」本当の名前は・・・
「帆前掛け」と言うんだそうです。
由来としては、室町時代古くなった船の帆を
前掛けにしたということから付けられたそうです。
ホ、ホ、ホ・・・
人間この愚かですばらしきもの
日曜日は以前から行ってみたかった・・・
人形作家の南条亮氏が13年間かけて制作した
世界にひとつしかないジオラマ
「明智ミュージアム20世紀・時空間」へ・・・
人間この愚かですばらしいものとは・・・
「激動の昭和、戦争と復興の間に輝いていた日々は
はるか遠くに走りすぎてしまった
それでも今日と明日は果てしなく続く
ただ懐かしむだけでは決して未来は見えてこない」
南条亮氏より
明治の道頓堀、大きな建物は中座です。当時の道頓堀は現在と変わらない程の賑わい!
明治の小学校、何故か目があってしまいます・・・
昭和20年大阪大空襲・・・
「野宿」これから二人でどうしたらええのか・・・幼い子供たち・・・
先生に連れられて・・・学校の先生があっちこっち探して親類のお婆ちゃんを探してくれた。
戦後の町の様子
焼きつくされた町には人々が溢れ、食べ物を求めてさまよう、もう戦争で死ななくてよい
今日から生きていく事が出来るのだから・・・
実家の母も子供の頃(梅田周辺)でチョコレートもらったとか・・・
当時の阪急電車でしょうか?ぽちっとボタン押すと動きます!
そういえば、実家の母が食べるために梅田で闇新聞売りをしていたとか・・・
ロバパン、会社にいた頃ロバの代わりに自転車で販売しておられました。今は・・・
ブローカーさんの中にも知っておられる方いるはずですが・・・ロバのおじさんチンカラリン♪
嬉しい給食・・・救援物資のおかげて給食で食べた事のないおかすがでてきた。
子供の好きなポン菓子に紙芝居・・・・
「演芸会」・・・下町の空き地や公園ではのど自慢大会、演芸会が行われるようになった。
エンタツ・アチャコ
ラオ屋「キセルの掃除」煙管の胴の竹に使われていたのがラオス産の竹であったことから
ラオ屋と言うようになった。
風呂屋・・・今は見る事の出来ない宮造りの風呂屋、二階は休憩所
まだまだお見せしたかったんですが、狭い場所ながら写真取りきれず・・・
戦後の人々の姿、生き様がうまく表現されていて
戦争の愚かさや命の尊さを感じました。
「共感や懐かしさはこの時代を体験した人だけでなく
希望とは?豊かさとは何か?を感じる心は
時代を超えて誰の心の中にもあるものと思っています」
南条亮氏より
昭和懐かし!
今日は、昔懐かしき昭和のおもちゃ・・・
出店で買ってもらった事ありませんでしたか???