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相手をひきつける話し方(パートⅡ)

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   解語の花  (中国のことわざ)

  ことばのわかる花、つまり美人のこと。

  

  唐の玄宗皇帝が、楊貴妃といっしょに太液の池に咲く

 白蓮の花を見ていた。人々が、あまりの美しさに感嘆して

 いるのを聞いて、そばにいる楊貴妃を指差して

   

  「いくら蓮の花が美しいと言っても、この言葉を解する

 花にはおよぶまいが」といったと伝えられている。玄宗の

 貴妃への傾斜振りを語るエピソードである。  

  

  が、美人と言うものは、人の話を聞くとき、とかく自分の

 都合のよいように解釈するものらしい。とんだ誤解をされた

 経験をした人は多いのではあるまいか。なにげなく、

 一般的な事柄を口にしたのに、自分への賛辞だと受け

 取ったりする。私のことをこの人は好きらしいと勝手に

 思い込む。言葉を解する美人は稀といえる。

 

   以心伝心  (日本のことわざ)

  「心を持って心に伝う」ということ。

  

  言葉や文字では、とても表現できないほど深遠な内容を、

 こちらの心の力を持って相手の心に直接伝えることである。

 禅宗などでは、仏法の極意を、師から弟子に伝えようと

 するとき、言葉では伝えられないとして、「以心伝心」を

 重んずる。

  

  「心を持って相手の心に伝え、すべて自分で悟り、自分で

 解かせる」のでなければ、仏の法はわからないとしている。

  

  一般的には、心と心で言外に通じ合うことで、想い想われて

 いる男女、固く結ばれた友人同士、先輩後輩などが、一言も

 いわなくても、すっと相手の心を理解すると言った場合に

 「以心伝心」という。言葉が不必要なほどの相手のいる人は

 幸福である。

          

相手をひきつける話し方

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  言うは易く行うは難し

  

  何事につけても、かれこれ口にするのはやさしい。が、いざ

 自分でそれを実行するとなると非常にむずかしい。「夫婦の

 あり方について」など、男女の幸福論を説いている評論家の

 家庭が、あまり円満でなかったり、「経営学」のすぐれた

 理論家として知られた人が会社を起こして社長になったら、

 うまくいかなかったり、例を挙げればたくさんある。

  

  子供たちには、やかましく注意して、厳しい育て方をして

 いる父親が、一家でもっともだらしない存在、といった家庭は

 多いのではないだろうか。自分にできない事を人に押しつけ

 てもあまり効果がない。まず自分で無言のうちで実行して見せ

 れば、人はついていくだろうし、実行している人が注意すれば

 、言われたほうも納得する。不言実行。

       

    心の師となれ心を師とせざれ

  

  人間は、誰にでも怠け心、わがまま心がある。それを押さえ

 つけてよい方向に導いていかなければ、世の中を無事に

 わたっていくのは不可能である。だから、自分の心の先生と

 なって、正しい方向に歩いていけるように厳しく指導しなけれ

 ばならない。逆に、自分の心を先生として、その言いなりに

 なり、思いのまま行動すればいつか身を滅ぼしてしまう。

  

  自分の心の先生となれ、自分の心を先生とするなとの教訓。

  

  自分の心の先生となるためには、いつも、怠け心を叱咤激励

 するための言葉をひとつもち、絶えず声に出して自分自身に

 話しかけるようにするとよい。案外、うまくいく。

  

  「ほら、しっかりしろ」「ここが我慢のしどころだ」「もう少しの

 頑張りだぞ」など。

    

     

すばらしい男性とめぐり逢うために

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     嫉妬は一番重い病気ということわざがある。

  

  誰の心の中にも、嫉妬心はある。男でも、女でもかわり

 はあるまい。昔から男と女ではどちらが嫉妬深いかが議論

 されている。が、男女のどちらかが・・・・・という対比の

 させ方がおかしいのであって、嫉妬深さは、男女の差が

 あるのではなく、個人差と言ってよいだろう。

  

  嫉妬心がもし、少しでも態度や言葉、行動になって現れ

 たら、ブーメランのように、必ず戻ってきて、相手を傷つける

 より、自分自身をずっと大きく深く傷つけてしまう。

 人を妬み、そねめばそれだけ品位がさがり、ますます疎外

 される結果になるからである。

  

  「嫉妬は、いまだかつていかなる人も富ましたことはない」

 という言葉もある。人間は厄介な心をもっている。

  

  ことばは国の手形と言う言葉がある。

 お国訛りでその人の出身地がわかるということだ。

  

  「手形」といえば、最近では力士を考えるが、昔は字の

 書けない人が署名代わりに押したもの。試問と同じように

 絶対に二つないものだから本人だと言う証拠になった。

  

  どんなに教養があり、いかに隠そうとしても、言葉の端

 ばしに、必ず生まれ故郷のにおいがあらわれる。

  

  若い女性、にかぎらず女性のお国訛りのある言葉は、

 魅力的である。むりに標準語をはなそうとおかしな

 アクセントの日本語を使うよりずっと心引かれる。自分の

 生まれ育った地方の方言に、もっと誇りを持ってはどうだ

 ろうか。もし笑うものがいたら相手にしなければよい。

 長い歴史を持つ方言の良さを理解しない人など、

 何ほどの者か。

   

人間のおかしな心理

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  苦手意識から脱け出せない人に

  疑いは破れの本と言うことわざがある。

  

  協力して仕事をしている相手を疑いだすと、実際にはあり

 得ないような悪い創造をしてしまうのが人間の常。そう

 なっては、同じ目的に向かって力をあわせていくのは

 不可能となる。目的も達成できないと言う意味。

  

  精神的にどうも気圧される。年齢も、社会的地位も、

 あらゆる点でも、自分のほうが上だと思うのだけど、

 どうもあの男(女)には、強い言葉がいえない。よほど

 勇気をふるはないと叱れない、といった相手が必ずいる。

 が、こうした相手の行動には、とかく疑い深くなって、

 あらゆる想像をする傾向を誰でも持っている。注意しなけ

 ればならない。疑いがあったら、躊躇せずたずねてみると

 いいだろう。たいていは、こちらの誤解であったとわかる。

 しかし、そうした相手は言葉巧みだからよほど気をつけ

 ないと・・・・・。

  

  痛痒を感ぜずという言葉がある。人から自分に加えら

 れる攻撃は、こちらに弱みがあったり、弱体だと、少しの

 ものでも大きな動揺を感じ、あわててしまう。が、万全の

 備えと自信、強力な体勢があれば、かなりのものでも、

 些かの影響も受けない。また、その事件が自分とは無

 関係であることのたとえにも使う。

  

  夏目漱石とその妻鏡子との関係で、精神的に優位に

 あるのは、つねに妻のほうである。夫からどのような仕打ち

 をされても、あまり痛痒を感じない。いくらぶたれても、冷静

 な目でじっと夫を見ている余裕がある。夫はいつも妻から

 心を見抜かれ、軽くあしらわれてしまう。しかし、夫はまるで

 蛇ににらまれた蛙よろしく、あがこうとすればするほど

 金縛りになって身動きできない。だが、夫が必死に反撃に

 移ると刀傷沙汰になりかねない。

   

  漱石の妻は鏡子といった。二人の間が険悪であったのは

 有名な話である。漱石は「行人」「道草」「明暗」のなかで

 、自らの夫婦関係をさらけ出している。「行人」では一郎と

 直、「道草」では健三とお住、「明暗」では津田とお延の

 関係に、自分と鏡子を置き換えて書いている。三つのどの

 作品の妻も、いわゆる悪妻であり、したたかで、夫など

 なんとも思っていない女たちである。

          

虚栄心を考える

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  虚栄心はあらゆる人間的なもののうちで、最も人間な

  ものである。   三木清の言

  

  さまざまな欲求をもっているのが人間である。食べたい、

 眠りたい、排泄をしたいなど。が、これらの欲求は平和な

 時代に住む、普通の人ならばほとんど満たされているの

 ではあるまいか。大人も子供もそうだろう。

  

  心身ともに健康で、成熟した人ならば、異性がほしい、

 人より優れた存在になりたいと思っているのではない

 だろうか。しかし、人間の持っている欲求のなかで、

 もっとも満足させにくいのが性的欲求と優越欲求であろう。

  

  「弱い者の空威張り」「弱い犬ほどよく吠える」と言う諺が

 あるが、声だけは威勢がよくいかにも強そうにみえるが、

 本当は実力のないたとえである。弱いものは、人間でも

 動物でも、わが身を守り、生きていくために、強いふりを

 する。これが素朴な意味での虚栄心である。力のない者

 ほど見栄を張りたがるのはこのためだろうか。

  

  なかなか満たされないのが性的欲求と優越欲求だと

 言ったが、誰でも、この二つの欲求を満たそうとして失敗

 し、自らの弱さを嫌と言うほど思い知らされた経験があるの

 ではないだろうか。

  

  自分の求める女性を得ようとして、男性は強くたくましく、

 頭脳明晰な男として印象ずけようとする。自らの弱さを

 知っている男性ほどそうした傾向がある。女性だって同じ

 だろう。容姿や頭脳に自信がない女性は、服装に工夫を

 こらし、いかによく見せようかと涙ぐましい努力をする。

  

  弱点をかくし、いかにごまかして、よくみられ、強く

 たくましい者、頭脳明晰な者、容姿端麗な者たちと張り

 あおうとする意識が虚栄心であるといえる。

  

  また、こんな言葉もある。虚栄心の強い男は、自分の

 ことをよく言ったり、悪く言ったりして得をする。謙遜な

 人は、まったく自分のことは語らない。

  

  言葉巧みに、いかに自分が優れた人物か、大きな仕事

 に取り組んでいるか、自分についていればどんな利益が

 あるか、得々として話す人がいる。虚勢をはっているので

 ある。ほんとうにそうなら口をつぐんでいるだろう。

 衆に優れている人は、人間として優秀かどうかは、表す

 より現れてくるのをよく知っているからである。

   

  また、自分は本当に実力がなく、役に立たない人物で

 あり、一人前ではないので、ひとつよろしくと、いかにも

 謙虚に振舞っている人がいる。自信がないので、第一

 印象で自分を低く評価させておいて、あとで、オヤッ

 この人も案外やるな、だめなやつだと思っていたけど・・・

 と、逆転をはかるつもりなのである。

  

  真実謙虚な人は沈黙を守る。どのような形であれ、

 表面に出たがらない。自分のことは自ら語らない謙遜な

 人は、実は、内に自負心を秘め、なみなみならぬ実践力

 の持ち主と考えてよいだろう。だから、真の謙虚さとは、

 力の表現と言い換えてもよい。

  

  が、絶対的な自信を持って、少しもゆるがない人など

 いるわけがないから、誰でも程度の差こそあれ、

 虚栄心を心の中に持っているのが普通である。虚栄心

 などまるでないよと広言する人がいたら、それがその人

 の虚栄心である。

  

  虚栄のかたまりのような人は、醜く、鼻持ちならない。

 が、ときおり、目立たないように虚栄心を見せるのは、

 いかにも人間味があって好感が持てる。虚栄のために、

 自信が湧き、自らが心に描いた理想像に少しでも近づ

 こうと努力するのであれば、虚栄心は能力ともいえる

 だろう。

            

  

   

 

 

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