パク中毒
ぱぐの場合 かわい~ っていう人 と
かわい~イィ って聞く人とにはっきり分かれます。
一度その魅力にとりつかれたら パグ中毒 という病気に なってしまいます。
では その 魅力 とは 何なんでしょう ……
たとえば うちの まちゃさんの場合
この まるい 背中 を見ると
何故だか愛おしくなります
この だら~んとした感じもたまりません
お髭のこの部分
つっつくと怒るけど
ぷよぷよしていてやみつきになります。
正面から よく見ると こ~んなことに なってます。
寝床を占領されることも しばしば
熟睡中 は
完全に別世界へ行ってます。
時には 鏡越しに 熱い視線 を 送ってくれる ニクイ奴 なのです
だから うちはみんな かわい~イィ って聞かれても 迷わず
かわいすぎ と お答えします。
とりあえず元気です!
春なのに 寒いですね
こ~んなにさぶいのに
ポットちゃんは会社のお花見に
はろげんは
入学早々ゼミ合宿で富山に
ぼくは
ママさんと寂しく留守番です
何をしてハネを伸ばすかあれこれ 企みましたが
ちょっと 遠ざかっていた ブログ に向き合うことにしました。
じつは このブログを始めるにあたり決めたことがあります。
『おもしろいこと うれしいこと がんばってること』
そんな家族のことを残していこう!って始めました。
でも うちにはもう1人 介護施設にお世話になっている
婆ちゃん(ママさんの実母)がいます。
婆ちゃんは55歳の時脳出血で倒れてから右半身が不自由な体になってしまいました。
横浜にいる兄夫婦も 爺ちゃん・婆ちゃんと一緒に暮らそう と誘ったのですが 地元を離れたくないのと 忙しい夫婦に遠慮して長浜に残りました。
義姉は横浜で小学校の先生をしていて 爺ちゃんの最期の時も 学年末の通信簿を校長先生に提出していかなければならず、結局間に会わなかったくらいです。
とても婆ちゃんの面倒は見れません。
爺ちゃんも事情を理解していたので ガンで入院するまでの20年間在宅介護をずっと一人で続けてきました。
手術をして 治療をして 元気になれば また 介護を再開するつもりだったので ショートステイで施設のお世話になることになりました。
…と書くと いかにも献身的な爺ちゃんのようですが、夫婦仲も特別よかったわけではなく ここ数年前から かなりストレスも溜まり 婆ちゃんにつらく当たることもしばしば……
でも 昔堅気の性格で頑固な為 人の世話になることに罪悪感があり 介護サービスは受けようとしませんでした。
私も愚痴の聞き役(両方の…)のみで 毎日介護を手伝っていたのは爺ちゃんが定年退職するまでぐらいです。
婆ちゃんにとって
爺ちゃんが亡くなり 子供には面倒をみてもらえず 悲しくて辛い現実です。
もう今までの生活ができないのと、家に帰れない辛さから現実逃避してしまったのか
今年に入り一気に痴呆の症状が進んでしまいました。娘(私の)名前も存在も忘れてしまってます。
思い出してもらおうとしたのですが 『子供は産んでいない』と言われてしまいました
でも会いに行くと 毎回 涙ぐみながら喜んでくれます。
(ただ…婆ちゃんの実姉と間違われているのですが)
食事もドロドロにしないと危険なので食べる意欲もなくなってしまいました。
痴呆のせいで よくベットから転落してしまい
この前は おでこたんこぶに 顔は青あざで痛々しいです
何より20年間不自由な体とのお付き合いです。
毎日 介護に疲れていらっしゃる方に比べれば
私の思いなんて 中途半端で贅沢の極みです。
どうせ何もしてあげられないのだから 割り切ればいいと思います。
でも 婆ちゃんの姿を見るのが辛くて
会いに行くのが辛いのです。
忙しさのせいにして避けている自分がいます。
一方で、20年の時間は 私達の生活(人生)に大きな影響を与え
『もういいかげん開放されたい』という思いもあります。
……最悪人間です……
爺ちゃんの時も 今の婆ちゃんも ほんとうに人って 死に方を選べなくて 恐ろしいです。
な~んてこと考えてばかりで楽しいブログが書けませんでした。
でも これで 婆ちゃんの 紹介も無事終わり
これから いっぱい登場してもらうことにします。
ぼくも 出 番 ください