ご無沙汰しておりました。
ご無沙汰しておりまして、申し訳ありません。
さて、今朝の新聞で富岡製糸工場がユネスコ世界遺産に登録されるというニュースがありました。ということで、ユネスコつながりで、曳山祭もユネスコ無形文化遺産登録にリストアップされています。ですから、当方は、今年度より登録を目指した活動してまいりたいと思います。
曳山祭が現在指定されているのは国指定重要無形文化財で、正式には「長浜曳山祭の曳山行事」といいます。昭和54年に指定され、その当時の記録を見てみますと、先人たちの並々ならぬ思いとその時の感動が伝わってきます。
そもそも、曳山祭の行事は格調の高いものであります。そのひとつに「儀」と呼ばれる行事が多いことです。「儀」のつく行事は正装で行い、そこには必ず「挨拶」が存在します。「曳山祭は挨拶にはじまり、挨拶に終わる」といわれるほどです。そういった格式に拘ることが祭の品格を高めています。先人たちが培われたこの文化が世界の財産となるよう努力してまいります。
熊谷陣屋2
しばらく、あいだがあいてしまいまして申し訳ありません。
続きを紹介します。
いよいよ敦盛の首実検が行われます。
我が子を人目みようと藤の方は覗きますが、熊谷が遮ります。
蓋が開けられると、首は小次郎です。
相模は驚きますが、義経は敦盛の首に間違いないといいます。
義経は首を敦盛の母である藤の方に見せるように言い、
相模が首を抱きます。もちろん、相模にとっては我が子の首です。
こみ上げるものをこらえきれない相模ですが、熊谷は義経の期待に
応えることができました。息子が死んだのに義経の意に沿ったという謎は
このお芝居のもっとも大事なアイテムである制札にあります。
これは、弁慶が書いたもので、熊谷の陣屋に立てられています。
そこには、故事にたとえられており、「一枝を切らば、一指を切るべし」という
暗示がありました。一枝(一子)とは敦盛で、一指(一子)は小次郎のことで、
敦盛を討つのであれば、小次郎を討てとの命令です。
天皇家に恩のある義経は天皇の血を引く敦盛を討つことはできません。
万一のときは敦盛は天皇の地位に就く人物であるからです。
だから、熊谷に身替りを立てろということを暗に命じていたのです。
熊谷もそれを汲み取り、このようなことになったのです。
この時代、主人のいうことは絶対です。
実は単に首をすりかえただけではありません。前段で敦盛と戦っているようで
実は小次郎と戦っていたのです。
考えてみると、小次郎もわかっていたのでしょう。
まだ、この話には続きがありますので、次回にします。
ここまでは、熊谷夫婦と、義経、藤の方の主従の因縁が
テーマでした。この後は、義経の過去の出来事がテーマに
なります。
熊谷陣屋
今年は源平物が3演目奉納されます。先回に紹介した「実盛物語」もそのひとつで、
今回紹介します熊谷陣屋もその類です。
この2作品とも全五段の浄瑠璃のうち三段目に当たります。
「三段目物」という専門用語があるくらいで、三段目は物語の
重要な場面であります。
熊谷陣屋は一谷嫩軍記三段目で、略して
「谷三(たにさん)」と呼ぶこともあります。
では、紹介してみましょう。といっても長浜では結構おなじみですが。
ちなみに昨年高砂山でこの前段の「陣門」を今回翁山の振付の岩井
小紫先生の弟の市川団四郎先生がされましてので、今年はその続編を
お姉さまが振付されることになりました。
本題に入りますが、まず、この時代の合戦は、戦国時代のような集団戦では
なく、一騎打ちです。これがひとつのポイントです。
どうしても、戦国時代のドラマ影響で武士の戦いは集団戦と思われがちです。
ここは、熊谷の陣屋です。熊谷は平敦盛を討ちましたが、それを手厚く弔うため
墓を建て、廟参し、陣屋に戻ってきました。
とそこには、妻の相模がいます。戦場に来てはいけないと言いつけておいたのにも
かかわらず、きているので熊谷は不機嫌になってしまいます。
相模は息子の小次郎の初陣のようすを熊谷に尋ね、熊谷は手傷は負ったが
無事であると告げます。さらに、相模は敦盛を討ったということを聞いたがその真偽を
確かめると、熊谷は討ったと答えます。すると、藤の方(敦盛の母)が奥からあらわれ
熊谷を斬りつけようとします。この藤の方もともとは後白河法皇の側室で、宮中にいました。
その頃、熊谷と相模も宮中に仕え、仕事をしていました。やがて、恋仲になり、小次郎を
懐妊しました。今の時代ならオフィスラブでいいのですが、当時はご法度。死罪に値します。
そこを藤の方の計らいで、逃げ延びることができました。ですから、熊谷夫妻にとって藤の方は
命の恩人です。その恩人の子どもを討った熊谷は、その次第を物語ります。
そして、その首が敦盛の首かどうかを見極める首実検が義経によって行われます。
また、長くなりましたので続きは次回にします。
今年の外題紹介2「源平布引滝 実盛物語」
昨日の続きです。
九郎助は孫の太郎吉と漁に出かけます。
草津川で網に掛かったのは、女の腕。
そしてそれは白旗を握っています。
二人はそれを持って帰ります。
そこに平家方の瀬尾十郎と斎藤実盛がやってきます。
九郎助が葵御前を匿っていることを知り、葵御前の
お腹の子が男であるかどうか調べるために腹をえぐり
もし、男の子であれば、幼い命を奪うというのです。
狼狽する九郎助とその妻ですが、先ほどの腕を葵御前が
産んだといってその場を取り繕うとします。
すると、なぜか実盛も中国の故事を持ち出して
腕を産むこともあるといいます。
納得のいかない瀬尾ですが、一旦帰ります。
実盛はその腕をみて、小万を殺め、腕を斬りおとした
次第を物語ります。(実盛物語の所以)
太郎吉にとっては母の敵ということです。
九郎助は小万は実の子ではなく、堅田の浦で
拾った子であると告げ、亡くなってしまっては
本当の親に申し訳がたたないと嘆きます。
そうこうしていると葵御前が産気づき、
男子を産みます。(これが後の木曽義仲です。)
そのようすを見ていた瀬尾が戻ってきて、
小万を足蹴にします。それを見た太郎吉は
瀬尾を刀で刺します。子どもにあっさりと刺された
瀬尾は小万が自分の子であることを打ち明けます。
そして、わざと孫に討たれたことを告げ、自分を討った
ことを太郎吉の手柄として、今誕生した義仲の家来に
してくれるよう、実盛に託します。
実盛は太郎吉が成人して武将になったとき、戦場で討たれることを
約束してこの場を去ります。
長くなりましたが、あらすじはこんなところです。
十分ではありませんが。
平家物語との関係はまた次回とさせていただきます。
今年の外題紹介1「源平合戦と近江」
ご無沙汰しております。
さて、曳山祭まであと1ケ月ほどになりました。
そこで今年の外題を少し紹介させていただきます。
ちょっとびっくりしたのは、昨年私どもの博物館では
源平合戦や平家物語を題材に3つ特別展を開催しました。
そのテーマうち2つが今年の外題で選ばれました。
ひとつは源平布引滝、もうひとつは一谷嫩軍記です。
昨年はNHK大河ドラマが平清盛であった関係で
特別展のテーマにこの2つを選んだのですが、
偶然にも今年の祭で上演されることになりうれしく思っております。
今日は源平布引滝についてご紹介させていただきます。
この話は滋賀県にゆかりが深いものでありまして、
今年上演されます実盛物語の舞台は栗東の手原です。
JR草津線に手原という駅がありまして、手原駅前にはこの
歌舞伎に因んだモニュメントまであります。
この話は平家物語の一説を脚色し、更に手原や堅田の伝承などを
うまく絡めた作品なのです。
但し、人間関係は浄瑠璃らしく複雑ですが、他の作品にも見られるので
典型的といえば典型的です。
この場面の主役であります斎藤実盛は平家方の侍ですが、
源氏方にも恩義のある人です。
実盛物語の前段で、平家一向は竹生島詣での帰途の船中で
源氏の白旗を握った女性が泳いでいるので助けます。
それをみていた平家方の侍であるが
源氏に恩義のある実盛は源氏の白旗が平家方に渡るのを
避けるため、女性の腕を斬りおとし、湖中に女性を沈めます。
ここまでが前段です。これが今回上演されます実盛物語に
重要です。
さて、場面が変わって、ここは小野原村というところにある
百姓九郎助の家です。九郎助夫婦には小万という娘とその子
太郎吉がおり、一緒に住んでおります。九郎助と小万は先般
木曽義賢に頼まれ、義賢の妻である葵御前と源氏の白旗を
守護することになりました。義賢は妻と白旗を彼らに託すと
討死しました。
九郎助は葵御前を、小万は白旗を守護し、義賢の館から
平家の追手をかわし、別々に逃げてきました。
というところで長くなるので続きは次のブログで紹介します。