豊国神社スタート
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2007/04/24 10:00
太閤さんのゆかりの地
めぐりめぐってむびょうたん
六つ集めて無病息災
祈願の旅にでかけよう
今回のコースは
「六瓢箪(むびょうたん)めぐり」。
「六瓢箪めぐり」とは、
太閤・秀吉の馬印である瓢箪にあやかって、
「六瓢(むびょう)」が「無病」につながる縁起物としての意味をかけ、
市内6ヶ所の寺社をめぐって祈祷済みの瓢箪を集めようというもの。
それぞれに秀吉から篤い保護を受けたなどの由緒がある。
その6ヶ所というのは・・・
豊国神社、知善院、神照寺、総持寺、八幡宮、舎那院。
瓢箪は1個400円、
どこか一ヶ所ですべて手には入るけど
やっぱり一つ一つ集めていくのが醍醐味。
それから、各社寺で手に入るもので、
六瓢箪全部が並ぶ飾台は500円なり。
他にも御朱印帳(1500円)↓や御朱印軸(2000円)↓に
各寺社で御朱印料300円を納めて、
個性ある御朱印(いわば記念スタンプ)を
押してもらって集めてみるのも楽しい。
お金がかかるのはちょっと・・・、という方は
回った先でしっかりお祈りすることにして
なにはともあれ出発しよう!!
歩いて回っても良いけれど、
神照寺と総持寺は少し距離があるので、
バスを利用するという手もあるけど、
今回は、駅から徒歩3分のところにある御旅駐車場で
一日500円で借りることができるレンタサイクルを利用してみよう。
御旅駐車場に行く間にひとつめの「豊国神社」があるので、
まず、そこへ向かうことに。
長浜駅から歩き始めると、
伊吹山口から降りて左手に信号があり、そこを渡って
すぐの信号も渡る。
渡ったところを真っ直ぐ行き、ひとつめの角を右へ。
するとそこに見えるのが
「豊国神社」
こちらは全国にある豊臣秀吉を祭神とした神社のひとつ。
こちらが本殿。
賽銭箱の上の恵比須さま。
さすがは商売繁盛の神様だけあって余裕の笑顔。
しかも丸くてカワイイ
しっかり拝んでおこう。
10月10日前後に行われる豊国神社の秋祭りである
「豊公まつり」は、
子ども神輿や時代風俗に扮した武者行列などが市街地を練り歩く。
そして、1月9・10・11日に行われる恵比須宮のまつり
「十日戎(とおかえびす)」には、
商売繁盛を願って飾りの付いた福笹(ふくざさ)を買い求める商売人や、
餅撒きや福娘の行列などを楽しみに集まる人たちでにぎわう。
豊国神社境内には「出世稲荷」もある。
お稲荷さんは江戸時代の終わりごろに
現世利益の神として信仰を集めた、いわばオールマイティーな神様。
こんなところにも御使い狐が。
こちらは
映画「憑神(つきがみ)」の三巡(みめぐり)稲荷ように
貧乏神・疫病神・死神の三厄神に憑かれる心配はないので、
ぜひお参りしていこう。
このほか小高い築山の上に秀吉ゆかりの「虎石」なるものも。
この虎石、その姿がちょうど虎がうずくまったような形であるからとも、
加藤清正が秀吉に献上したことから加藤虎之助清正の虎の字をとって名づけられたのだとも伝えられる。
あっ、あの後姿は!?
そう、その加藤清正の像もあるのだ。
社務所で一つ目の瓢箪をGETしたら、
次は御旅駐車場のレンタサイクルへ。
いよいよ、瓢箪集めのサイクリングが始まる。
めぐりめぐってむびょうたん
六つ集めて無病息災
祈願の旅にでかけよう
今回のコースは
「六瓢箪(むびょうたん)めぐり」。
「六瓢箪めぐり」とは、
太閤・秀吉の馬印である瓢箪にあやかって、
「六瓢(むびょう)」が「無病」につながる縁起物としての意味をかけ、
市内6ヶ所の寺社をめぐって祈祷済みの瓢箪を集めようというもの。
それぞれに秀吉から篤い保護を受けたなどの由緒がある。
その6ヶ所というのは・・・
豊国神社、知善院、神照寺、総持寺、八幡宮、舎那院。
瓢箪は1個400円、
どこか一ヶ所ですべて手には入るけど
やっぱり一つ一つ集めていくのが醍醐味。
それから、各社寺で手に入るもので、
六瓢箪全部が並ぶ飾台は500円なり。
他にも御朱印帳(1500円)↓や御朱印軸(2000円)↓に
各寺社で御朱印料300円を納めて、
個性ある御朱印(いわば記念スタンプ)を
押してもらって集めてみるのも楽しい。
お金がかかるのはちょっと・・・、という方は
回った先でしっかりお祈りすることにして
なにはともあれ出発しよう!!
歩いて回っても良いけれど、
神照寺と総持寺は少し距離があるので、
バスを利用するという手もあるけど、
今回は、駅から徒歩3分のところにある御旅駐車場で
一日500円で借りることができるレンタサイクルを利用してみよう。
御旅駐車場に行く間にひとつめの「豊国神社」があるので、
まず、そこへ向かうことに。
長浜駅から歩き始めると、
伊吹山口から降りて左手に信号があり、そこを渡って
すぐの信号も渡る。
渡ったところを真っ直ぐ行き、ひとつめの角を右へ。
するとそこに見えるのが
「豊国神社」
こちらは全国にある豊臣秀吉を祭神とした神社のひとつ。
こちらが本殿。
賽銭箱の上の恵比須さま。
さすがは商売繁盛の神様だけあって余裕の笑顔。
しかも丸くてカワイイ
しっかり拝んでおこう。
10月10日前後に行われる豊国神社の秋祭りである
「豊公まつり」は、
子ども神輿や時代風俗に扮した武者行列などが市街地を練り歩く。
そして、1月9・10・11日に行われる恵比須宮のまつり
「十日戎(とおかえびす)」には、
商売繁盛を願って飾りの付いた福笹(ふくざさ)を買い求める商売人や、
餅撒きや福娘の行列などを楽しみに集まる人たちでにぎわう。
豊国神社境内には「出世稲荷」もある。
お稲荷さんは江戸時代の終わりごろに
現世利益の神として信仰を集めた、いわばオールマイティーな神様。
こんなところにも御使い狐が。
こちらは
映画「憑神(つきがみ)」の三巡(みめぐり)稲荷ように
貧乏神・疫病神・死神の三厄神に憑かれる心配はないので、
ぜひお参りしていこう。
このほか小高い築山の上に秀吉ゆかりの「虎石」なるものも。
この虎石、その姿がちょうど虎がうずくまったような形であるからとも、
加藤清正が秀吉に献上したことから加藤虎之助清正の虎の字をとって名づけられたのだとも伝えられる。
あっ、あの後姿は!?
そう、その加藤清正の像もあるのだ。
社務所で一つ目の瓢箪をGETしたら、
次は御旅駐車場のレンタサイクルへ。
いよいよ、瓢箪集めのサイクリングが始まる。
自転車を借りて知善院へ
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2007/04/24 09:59
秀吉の鬼門を守ったその場所へ
ゆっくりペダルをこぎだそう
豊国神社を後にして、すぐ近くにある広めの駐車場が
「御旅所(おたびしょ)」(御旅駐車場)
昼間は観光バスや自家用車の駐車場として利用されている。
この一角にレンタサイクルが設置されているので、
ここで自転車を借りて、次の目的地である知善院へいこう。
御旅所を横切って、大きな蔵のある横断歩道を渡る。
すると変わった飾りのついたアーケードが見える。
そのままアーケードの中へはいると左手に魚屋さんがあるので
その角を左へ。
そのままず~っと真っ直ぐ行けば右手にお寺が見えてくる。
ここが、
天台真盛宗「知善院(ちぜんいん)」
元々は小谷城下にあったもので、
長浜城築城の際に鬼門である丑寅(うしとら:東北)の方角を守らせるために
秀吉によって現在地に移されたのだとか。
何よりもまず、くぐることになるのが、
かつての長浜城搦手門(からめてもん)を移築したとされる山門。
※搦手門はお城などの裏門のこと
寺務所で拝観料300円を納めて、さあ、その先にある本堂へ。
↑本堂の屋根にはなぜかシャチホコがちょこんと乗っている。
こちらには
阿弥陀如来を真ん中に、両脇に観音菩薩と勢至菩薩が立つ阿弥陀三尊像と
大坂城落城の際に運び出されてきたといわれる秀吉の木像が安置されている。
とっても静かなお寺。
次に向かうは観音堂。
この観音堂の始まりは
町民の有志による寄進で仮堂を建てたことによるといわれる。
この観音堂に安置されているのが、
鎌倉時代初期の仏師(彫刻家)運慶の作だと伝えられる
国の重要文化財・木造十一面観音坐像。
そして淀君(通称茶々)から
妹おはつの夫である京極高次
へと宛てられた自筆の消息(文通の手紙のこと)も保管されている。
ここで、ふたつめの瓢箪を手に入れ、
いざ、神照寺へ。
ゆっくりペダルをこぎだそう
豊国神社を後にして、すぐ近くにある広めの駐車場が
「御旅所(おたびしょ)」(御旅駐車場)
昼間は観光バスや自家用車の駐車場として利用されている。
この一角にレンタサイクルが設置されているので、
ここで自転車を借りて、次の目的地である知善院へいこう。
御旅所を横切って、大きな蔵のある横断歩道を渡る。
すると変わった飾りのついたアーケードが見える。
そのままアーケードの中へはいると左手に魚屋さんがあるので
その角を左へ。
そのままず~っと真っ直ぐ行けば右手にお寺が見えてくる。
ここが、
天台真盛宗「知善院(ちぜんいん)」
元々は小谷城下にあったもので、
長浜城築城の際に鬼門である丑寅(うしとら:東北)の方角を守らせるために
秀吉によって現在地に移されたのだとか。
何よりもまず、くぐることになるのが、
かつての長浜城搦手門(からめてもん)を移築したとされる山門。
※搦手門はお城などの裏門のこと
寺務所で拝観料300円を納めて、さあ、その先にある本堂へ。
↑本堂の屋根にはなぜかシャチホコがちょこんと乗っている。
こちらには
阿弥陀如来を真ん中に、両脇に観音菩薩と勢至菩薩が立つ阿弥陀三尊像と
大坂城落城の際に運び出されてきたといわれる秀吉の木像が安置されている。
とっても静かなお寺。
次に向かうは観音堂。
この観音堂の始まりは
町民の有志による寄進で仮堂を建てたことによるといわれる。
この観音堂に安置されているのが、
鎌倉時代初期の仏師(彫刻家)運慶の作だと伝えられる
国の重要文化財・木造十一面観音坐像。
そして淀君(通称茶々)から
妹おはつの夫である京極高次
へと宛てられた自筆の消息(文通の手紙のこと)も保管されている。
ここで、ふたつめの瓢箪を手に入れ、
いざ、神照寺へ。
神照寺
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2007/04/24 09:58
のんびりと市街地を出て
市内最古の萩寺へ
知善院から北へ向かって進むと大きな蔵がある。
この蔵は、
曳山祭りに出る山車のひとつ「青海山(せいかいざん)」の山蔵。
この角を右に向かって走っていくと
こんな十字路があるのでここを右へ。
写真では見えていないけれど、左側奥にはお寿司屋さんがある。
この通りは「十里(じゅうり)街道」。
職人さんが多いので、
「十里街道職人まち」とよばれている。
そのまま真っ直ぐ進んでいくと広い道に出る。
大きな家具屋さんの前まで交差点の信号を渡って、渡る。
そして、東(伊吹山が見えるほう)へとしばらく走っていくと、
大きな本屋さんと100円ショップが見える。
その角を左に曲がり、
大手ドラッグストアの前を通って、ひたすら真っ直ぐ走りていく。
すると、
神照町交差点と書かれた歩道橋があるのでその信号を渡る。
またしばらく走っているとこんな案内板が。
言われるとおりに曲がってみると、
あったあったそれらしきところ。
もう少し進んでみると駐車場もみえてきて、
いよいよここが
真言宗智山派「神照寺」(じんしょうじ)
市内最古とされるこのお寺の創立は古く、平安時代中期にまでさかのぼる。
そして、
時代の流れに翻弄(ほんろう)され、何度も焼失、再建が繰り返され、
信長の軍勢に焼き討ちにあっていたものを
長浜城主になった秀吉が復興したと伝えられる。
神照寺には色々な時代の色々な表現方法が混ざっている。
建物でみると、
近世(江戸時代)後期に再建された本堂と寺務所。
境内には鉄筋コンクリートで造られた宝物館も。
他にも、茅葺(かやぶき)の庫裏(くり)や江戸時代中期の庭園がある。
↑本堂
↑参堂入り口の門
寺宝にされている文化財には、
「木造見返り不動明王立像」や「木造不動明王立像」、
同じく平安時代の「木造毘沙門天立像」(重要文化財)、
「金銅透彫華鬘(こんどうすかしぼりけまん)」11枚(重要文化財)、
秘仏なので見ることは出来ないけれど、
「半肉彫千手観音立像」(重要文化財)、
現存する日本国内最高のものとして、
国宝に指定されている
「金銀鍍透彫華籠(きんぎんとすかしぼりけこ)」が収蔵される。
本堂の前には静かな池。
ここの御手洗、なんだかおしゃれ。
萩寺とよばれるほど、
神照寺にはたくさんの萩が植えられているけれど、
足利尊氏が立ち寄ったときに植えたのがその始まりとされているのだそう。
9月には「萩祭り」が催され、あわせて特別展と秘法展も開催される。
神照寺では1月14日寺院で行われることの少ない
「どんど焼き」という祭が行われる。
これは、
1月15日の小正月頃に注連縄(しめなわ)などの正月飾りを燃やす火祭りで、
その火であぶった餅などを食べると無病息災になるといわれるもの。
さ、寺務所に行って
また一つ瓢箪を増やして、
次の目的地総持寺へ。
市内最古の萩寺へ
知善院から北へ向かって進むと大きな蔵がある。
この蔵は、
曳山祭りに出る山車のひとつ「青海山(せいかいざん)」の山蔵。
この角を右に向かって走っていくと
こんな十字路があるのでここを右へ。
写真では見えていないけれど、左側奥にはお寿司屋さんがある。
この通りは「十里(じゅうり)街道」。
職人さんが多いので、
「十里街道職人まち」とよばれている。
そのまま真っ直ぐ進んでいくと広い道に出る。
大きな家具屋さんの前まで交差点の信号を渡って、渡る。
そして、東(伊吹山が見えるほう)へとしばらく走っていくと、
大きな本屋さんと100円ショップが見える。
その角を左に曲がり、
大手ドラッグストアの前を通って、ひたすら真っ直ぐ走りていく。
すると、
神照町交差点と書かれた歩道橋があるのでその信号を渡る。
またしばらく走っているとこんな案内板が。
言われるとおりに曲がってみると、
あったあったそれらしきところ。
もう少し進んでみると駐車場もみえてきて、
いよいよここが
真言宗智山派「神照寺」(じんしょうじ)
市内最古とされるこのお寺の創立は古く、平安時代中期にまでさかのぼる。
そして、
時代の流れに翻弄(ほんろう)され、何度も焼失、再建が繰り返され、
信長の軍勢に焼き討ちにあっていたものを
長浜城主になった秀吉が復興したと伝えられる。
神照寺には色々な時代の色々な表現方法が混ざっている。
建物でみると、
近世(江戸時代)後期に再建された本堂と寺務所。
境内には鉄筋コンクリートで造られた宝物館も。
他にも、茅葺(かやぶき)の庫裏(くり)や江戸時代中期の庭園がある。
↑本堂
↑参堂入り口の門
寺宝にされている文化財には、
「木造見返り不動明王立像」や「木造不動明王立像」、
同じく平安時代の「木造毘沙門天立像」(重要文化財)、
「金銅透彫華鬘(こんどうすかしぼりけまん)」11枚(重要文化財)、
秘仏なので見ることは出来ないけれど、
「半肉彫千手観音立像」(重要文化財)、
現存する日本国内最高のものとして、
国宝に指定されている
「金銀鍍透彫華籠(きんぎんとすかしぼりけこ)」が収蔵される。
本堂の前には静かな池。
ここの御手洗、なんだかおしゃれ。
萩寺とよばれるほど、
神照寺にはたくさんの萩が植えられているけれど、
足利尊氏が立ち寄ったときに植えたのがその始まりとされているのだそう。
9月には「萩祭り」が催され、あわせて特別展と秘法展も開催される。
神照寺では1月14日寺院で行われることの少ない
「どんど焼き」という祭が行われる。
これは、
1月15日の小正月頃に注連縄(しめなわ)などの正月飾りを燃やす火祭りで、
その火であぶった餅などを食べると無病息災になるといわれるもの。
さ、寺務所に行って
また一つ瓢箪を増やして、
次の目的地総持寺へ。
総持寺
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2007/04/24 09:57
風を感じて向かうのは
仁王の守る薬師さま
神照寺を出発したら、
もと来た道を戻って歩道橋のあった広い道(長浜バイパス)へ。
その道を東へと自転車を走らせて、カーブに沿って道なりに。
総持寺までは距離がかなりあるので、
車に気を付けつつ、周りの景色を見ながらゆっくり走っていく。
そして「アルプラザ長浜(平和堂)」が見えたら、
そこには大きな交差点があるので左へ曲がっていく。
途中には橋が架かっていて、その欄干には
牡丹(ぼたん)のレリーフ。
これで、総持寺への道を間違えていないことがわかった。
なぜって?
総持寺はたくさんの牡丹が植えられていて、
牡丹寺としても有名なのだ。
そういった細かいところに気づいても気づかなくても、
ようやく見えてきた見えてきた。
あれに見えるは・・・
真言宗豊山派医王山「総持寺(そうじじ)」
この総持寺は、
神照寺と並んで市内でも有数の古刹。
西国四十九薬師霊場の一つ、三十一番札所でもある。
姉川の合戦で焼失したものを秀吉が寺領を寄進して再興したという。
現在の境内は江戸時代にはほぼ成立したそうで、
入り口に構える大門も江戸時代初期のもの。
その大門の左右には両目を見開いてキッと睨みをきかせて、
境内を守るように立つ阿吽(あうん)一対の仁王(金剛力士)像。
その迫力にはちょっとビビッちゃうかも
大門をくぐって進んでいくと
中門があり、
正面には客殿、その左には納経堂、右側に本堂が見える。
まずは本堂へ。
本尊である薬師如来は、
「頭の薬師」や「手術の薬師」と呼ばれ霊験あらたかなのだそう。
他にも重要文化財の
「絹本著色愛染(あいぜん)明王像」と「木造聖観音像」が
安置されている。
本堂と客殿の間には「松梅(しょうばい)の木」という、
梅を宿として松が生える珍しい木がある。
その呼び名から商売繁盛に通じるとされ、
その状態から男女の縁結びに通じるということで、五円(御縁)が結ばれる。
ホントだ刺さってる!
この五円、
松には挿さないようにと注意書きがあるので梅の枝のほうへ。
客殿では、
わが子をみずから千尋(せんじん)の谷へ落とす獅子の障壁画を見ることが出来る。
※仏像や、
小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作という庭園を見たいという方は
事前の予約と拝観料300円が必要。
春には牡丹の花が咲き乱れて境内一面を鮮やかに彩る。
牡丹の頃には別に入山料300円がいるのでご注意を。
またひとつ瓢箪を手に入れたら、もうひとがんばり。
仁王の守る薬師さま
神照寺を出発したら、
もと来た道を戻って歩道橋のあった広い道(長浜バイパス)へ。
その道を東へと自転車を走らせて、カーブに沿って道なりに。
総持寺までは距離がかなりあるので、
車に気を付けつつ、周りの景色を見ながらゆっくり走っていく。
そして「アルプラザ長浜(平和堂)」が見えたら、
そこには大きな交差点があるので左へ曲がっていく。
途中には橋が架かっていて、その欄干には
牡丹(ぼたん)のレリーフ。
これで、総持寺への道を間違えていないことがわかった。
なぜって?
総持寺はたくさんの牡丹が植えられていて、
牡丹寺としても有名なのだ。
そういった細かいところに気づいても気づかなくても、
ようやく見えてきた見えてきた。
あれに見えるは・・・
真言宗豊山派医王山「総持寺(そうじじ)」
この総持寺は、
神照寺と並んで市内でも有数の古刹。
西国四十九薬師霊場の一つ、三十一番札所でもある。
姉川の合戦で焼失したものを秀吉が寺領を寄進して再興したという。
現在の境内は江戸時代にはほぼ成立したそうで、
入り口に構える大門も江戸時代初期のもの。
その大門の左右には両目を見開いてキッと睨みをきかせて、
境内を守るように立つ阿吽(あうん)一対の仁王(金剛力士)像。
その迫力にはちょっとビビッちゃうかも
大門をくぐって進んでいくと
中門があり、
正面には客殿、その左には納経堂、右側に本堂が見える。
まずは本堂へ。
本尊である薬師如来は、
「頭の薬師」や「手術の薬師」と呼ばれ霊験あらたかなのだそう。
他にも重要文化財の
「絹本著色愛染(あいぜん)明王像」と「木造聖観音像」が
安置されている。
本堂と客殿の間には「松梅(しょうばい)の木」という、
梅を宿として松が生える珍しい木がある。
その呼び名から商売繁盛に通じるとされ、
その状態から男女の縁結びに通じるということで、五円(御縁)が結ばれる。
ホントだ刺さってる!
この五円、
松には挿さないようにと注意書きがあるので梅の枝のほうへ。
客殿では、
わが子をみずから千尋(せんじん)の谷へ落とす獅子の障壁画を見ることが出来る。
※仏像や、
小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作という庭園を見たいという方は
事前の予約と拝観料300円が必要。
春には牡丹の花が咲き乱れて境内一面を鮮やかに彩る。
牡丹の頃には別に入山料300円がいるのでご注意を。
またひとつ瓢箪を手に入れたら、もうひとがんばり。
舎那院
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2007/04/24 09:56
そろそろ旅も終わるころ
弘法大師創建の寺へ
総持寺を後にして、同じ道を戻っていく。
先ほどの交差点を渡って交番の横を通り、
ところどころはげてしまってはいるが赤い歩道を直進。
しばらく直進していくと、
左手には中学校、
右手には長浜市役所という交差点。
市役所側(右)へ曲がって進んでいくと
みぃつけた。
やっと到着。
真言宗豊山派「舎那院」
平安時代初期に空海が創建したという古刹。
戦国時代の戦火によって焼失したが秀吉によって長浜八幡宮と共に再興された。
現在の舎那院の本堂は八幡宮境内にあった本地堂を拡張・移築したもので、
本堂西側の扉は旧国会議事堂から貰い受けたというもの。
白っぽい扉がそう。
本堂に向かって左手奥にある室町時代の建築物とされる護摩堂も同様に移築されたもの。
他にも、境内には
聖徳太子が祀られる太子堂や
観音堂 、
地蔵堂、
鐘楼などがある。
絹本着色三月経曼荼羅図と本尊の愛染明王坐像、阿弥陀如来坐像は重要文化財に指定されている。
さらに、秀吉が一族の息災を祈願したという懸仏(かけぼとけ)も残されている。これら以外にも多くの宝物が収められている。
舎那院は芙蓉(ふよう)の花が有名で、7月ごろから鮮やかなピンク色と白色の花が大きく咲き誇る。
8月下旬になると朝は白いのに昼から夕方にかけて、
まるでお酒を飲んだように赤らんでくる八重咲きの酔芙蓉(すいふよう)の花も咲き始める。
ちなみに芙蓉はアオイ科で沖縄などに咲くハイビスカスの仲間。
さあさあ、ここで瓢箪を手に入れると残りはあと一つ。
最後の霊場、長浜八幡宮が待っている。
弘法大師創建の寺へ
総持寺を後にして、同じ道を戻っていく。
先ほどの交差点を渡って交番の横を通り、
ところどころはげてしまってはいるが赤い歩道を直進。
しばらく直進していくと、
左手には中学校、
右手には長浜市役所という交差点。
市役所側(右)へ曲がって進んでいくと
みぃつけた。
やっと到着。
真言宗豊山派「舎那院」
平安時代初期に空海が創建したという古刹。
戦国時代の戦火によって焼失したが秀吉によって長浜八幡宮と共に再興された。
現在の舎那院の本堂は八幡宮境内にあった本地堂を拡張・移築したもので、
本堂西側の扉は旧国会議事堂から貰い受けたというもの。
白っぽい扉がそう。
本堂に向かって左手奥にある室町時代の建築物とされる護摩堂も同様に移築されたもの。
他にも、境内には
聖徳太子が祀られる太子堂や
観音堂 、
地蔵堂、
鐘楼などがある。
絹本着色三月経曼荼羅図と本尊の愛染明王坐像、阿弥陀如来坐像は重要文化財に指定されている。
さらに、秀吉が一族の息災を祈願したという懸仏(かけぼとけ)も残されている。これら以外にも多くの宝物が収められている。
舎那院は芙蓉(ふよう)の花が有名で、7月ごろから鮮やかなピンク色と白色の花が大きく咲き誇る。
8月下旬になると朝は白いのに昼から夕方にかけて、
まるでお酒を飲んだように赤らんでくる八重咲きの酔芙蓉(すいふよう)の花も咲き始める。
ちなみに芙蓉はアオイ科で沖縄などに咲くハイビスカスの仲間。
さあさあ、ここで瓢箪を手に入れると残りはあと一つ。
最後の霊場、長浜八幡宮が待っている。